コロナ禍で判明した「都市が“過密”で、田舎は“適疎”」という事実
自分の仕事が人や世のためになってないと苦しむビジネスマンが多い。この行き過ぎた資本主義の闇であるが仕方ないのか? いや、アナタから変える方法がある!
コロナ禍にあっても、俺のもとに遠方から訪ねてくる老若男女が絶えない。充分に気をつけて、地元の方々にも配慮しながら、屋内で過ごす時間を減らして、里山や田んぼの「疎」でお迎えする。
彼ら彼女らは当然、県をまたいで移動することを躊躇している。
「他者に迷惑をかけてはならない、出向く地域の方々に迷惑をかけてはならない」と完全防備で来る。列車の中では
「不要不急の外出や県をまたぐ移動は避けましょう」と放送が流れていて、肩身の狭い思いで人目を忍んでやってくる。そこまでしても来なければならない理由を抱えてくるわけだ。たいていが、この世の中を憂い、社会を変えるために、まず自らの生き方を変えようとする人たちだ。
日本総合研究所主席研究員でエコノミストの
藻谷浩介氏が、『
日経新聞』でこう書いていた。
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「コロナ禍で日本は変わる」のか?
そのように語る人には「あなた個人、御社自体は、この機会に何を変えますか?」と問いたい。自分や自社がまず何かを変えないで、日本の何が変わるのだろう”
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「東京が普通で田舎が“過疎”だ」という国民的思い込みは変わるだろうか。「東京が“過密”で田舎は“適疎”だ」と、皆が口にする日は来るのだろうか”
今日、俺のもとに訪ねて来た20代後半の青年Wさんは、
「資本主義が進むほど悲しくなる」と言った。決して「社会主義がいい」なんてことを彼は言いたいのではない。
「もっと」「もっと」「前年よりもっと」と、働く人を「売り上げアップ」へと駆り立てる。そのこと自体に疑問を呈しているのだ。会社や上司から毎日何度も振りかざされる「前年対比」や「成長を」の文言に、たいていの若者たちは心身をすり減らし、疲弊してゆく。
ちなみに先日、俺が非常勤講師を務めているある大学の経済学部経済学科の授業で、アウトドアのパタゴニアの日本支社長だった辻井隆行さんに、オンライン授業でゲスト出演してもらった。「
パタゴニアでは、前年対比の数字がアメリカ本社やトップから降りてくることはない」と言う。
学生たちはそのパタゴニアという会社のすごさに気づいていない。俺からしたら、「なんと素晴らしい企業なのか」と驚く。パタゴニアは、地球環境を良くする手段として「企業」という形をとっているに過ぎないという。
まだ「前年度比〇%アップ」という呪縛を味わっていない純朴な学生たちには、自分がそのために鬱になるかもしれないことへの自覚が薄い。いずれ“普通の”企業に就職したら、この言葉に常に追いかけられてストレスを抱えてゆくことにも気づかずに。
20代後半のWさんはいい会社に入って親から独立することが親孝行で恩返しになると思ってメーカーに就職して業務に励み、上司や同僚からも期待された。しかし、そうして仕事に過度に没頭するほどに、家族との関係が遠ざかっていった。その後、逆に仕事を“疎”にしていったら、家族との関係が改善していったとも語ってくれた。彼が最初に発した「資本主義が進んでいくと悲しくなる」という言葉に合点が行った。