コロナ禍を機に、クソくだらない仕事を背負わされて「死んでいるように生きる」状態から抜け出そう

死んでいるように生きるのは終わりにしたい

 先週、姫路から来てくれた42歳の女性Yさんは都銀に勤めている。誰もが羨ましがる銀行勤務じゃないか! だが彼女は「お客さんをだますようにサービスを提供することに、もう耐えられない」「常に『前年度比』というノルマが追って来て、それを思い浮かべるだけで苦しくなる」「死んでいるように生きるのは嫌だ」と言った。  そして、こうボヤいた。 「会社が、『お客様のために』なんてウソを言わないで、『売り上げと利益のため』って正直に言えば、まだマシなのに!」  誰かを、何かをだましている。だましている自分にも苦しむ。「死んでいるように生きるのは終わりにしたい」という言葉は強烈だ。彼女はブルシット・ジョブを背負わされたゆえに、適応障害に陥って半年休職したこともある。  人をだますようなブルシット・ジョブに適応することがマトモだととらえられ、適応できない人を「障害」と呼ぶ、異常な世の中。人としての営みに反している経済至上主義こそ「適応障害」と呼ぼう。日本の経済のど真ん中にいる都市銀行も、何かを、誰かを、だましていかないと存続できない。とすれば、この行きすぎた資本主義とは何なんだろうか?

経済至上主義の世の中を嘆いているだけではなく、まずは自分を変えようと動く

大豆の種

銀行勤めのYさんと公務員だったK夫妻が田んぼの畔に植えた大豆の種は、一週間後に見事に芽を出し、天に向かってのびのびと育ち始めている。この大豆は、枝豆となり、味噌となり、醤油となる

 俺のもとにはそうした人たちからの声がたくさん届く。だが、彼ら彼女らは、嘆いているだけではなく、自分を変えようとしている。地方へ拠点を移そうとしている。自分で食べ物を少しでも育てようとしている。  小さくとも人に役立つ、世の中のためになるナリワイを模索している。いわゆる「半農半X」だ。自分や家族の食べ物を少しでも育て、同時に自分が本当に求めているナリワイ(ナリワイ名を“X”に当てはめる。例えば「半農半カフェ」「半農半IT」など)をする、という生き方だ。  俺のところにわざわざリスクを背負ってまで訪ねてくるのは、この世の疑問や嘆きを吐き出しにくるのではない、米作りや野菜作りやDIYに自分が一歩を踏み出せるかどうか、体験に来るのだ。  姫路から来てくれた女性Yさんがメールをくれた。 「帰ってきてすぐに8月末で退職すると会社に伝えました。カラダは本当に正直で、日に日に体調が良くなりました。これからどうするのかはわかりませんが、今は不安よりも期待のほうが大きいというか、農的暮しが私にもできる、虫だって大丈夫だった、と不思議とワクワクしています」  沖縄から来たKさん夫妻からは「沖縄に帰ってから、熱が冷めないうちに畑ができそうな物件探しをスタートしています」とのメールがきた。  警備会社を8月に辞めるKさんは米作りの経験を糧に移住を決めて、空き家を斡旋してもらい、仲間とセルフリノベーションするという。
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コロナ禍をきっかけに、幸せになれるかどうかはアナタ次第
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