分断する「世界の盟主」、アメリカ。トランプ、そしてコロナ以後の日本の生存戦略とは?<内田樹氏>

分断するアメリカ

(Photo by Helen H. Richardson/MediaNews Group/The Denver Post via Getty Images)

アメリカの分断は危険水域に入っている

―― トランプ政権の下で「黒人の命は大事だ」と訴えるブラック・ライブス・マター(BLM)運動が全米で巻き起こっています。 内田樹氏(以下、内田):アメリカの国内問題は国際情勢に影響しますから、BLM運動は日本にとっても「対岸の火事」ではありません。アメリカでいま何が起きているのか、それが国際情勢にどういう影響を与えるのかについて考える必要があります。  アメリカが大きく変わろうとしていること、これは間違いありません。女性差別に反対するMe too運動に続いて、人種差別に反対するBLM運動が起きました。属性にかかわらずすべての人の人権の尊重を求めるこの歩みは歴史的に不可逆的です。もうBLM運動以前のアメリカに戻ることはないでしょう。BLM運動は直接的にはトランプの人権軽視政策に対するバックラッシュです。トランプが大統領でなければ、これほど広がることはなかったと思います。  もともとアメリカは主流と反主流の国内的な対立葛藤を原動力に発展してきた国です。主流が政策的に失敗した場合には、反主流がそれに代わる。それがアメリカの「復元力(レジリエンス)」の源泉でした。この国内的な対立葛藤が抑制的であれば、それは国に活力をもたらしますが、いまのアメリカは分断が限度を超えて、統治上の危険水域に入っています。  「ポリティカル・コレクトネス」(政治的な正しさ)をめざす米国民がいる一方で、白人至上主義・人種差別主義・性差別主義にしがみついている米国民もいます。トランプの支持層は後者ですが、これが人口のほぼ40%を占めています。6対4の比率で国民が割れている。ここまであらわに国民が分断されたのは南北戦争以来ではないかと思います。  アメリカは戦争終結から150年経った今も、南北戦争のトラウマから完全には解放されていません。国民的分断的状況になる度に、南北戦争の対立スキームが形を変え、意匠を替えて、間歇的に噴出してくる。今回はトランプ現象という「南部的なもの」の度を越えた表出に対して、BLM運動という「北部的なもの」の強い反対運動が起きたのだと思います。 ―― 南北の対立とは、どういうことですか。 内田:南部を「ディキシー」、北部を「ヤンキー」と呼びますが、この対立は地域文化の違いを映し出しています。南部一帯は19世紀はじめまでフランス領でしたから、前近代のヨーロッパ文化が根づいている。伝統的に綿花や煙草のような商業作物のモノカルチャーが奴隷の労働力をベースに営まれてきました。南部の支配層の白人たちは流動性が低く、それゆえ文化的同一性が高い。  それに対して、北部は移民流入によって形成された社会的流動性の高い地域です。人口が急増したのは19世紀以降、特に1848年の市民革命の挫折後、ヨーロッパから多くの自由主義者や社会主義者が祖国での政治的弾圧を逃れてアメリカに移民してきました。一番多かった1853年には年間25万人に達しました。「48年世代(フォーティエイターズ)」と呼ばれるこの新参の移民たちは高学歴で高度専門職でかつ富裕な人たちが多かった。彼らが南北戦争前の北部の地域文化の形成に深く関与します。  南部は土着の民が形成する「深いアメリカ(Deep America)」であり、北部は近年市民権を得たばかりの新参国民たちから成る「法制上のアメリカ(Legitimate America)」というふうに対比的に語ることができます。これはフランスの極右が採用していた「国民二分法」です。いまも南部人は南北戦争以前の「古き良きアメリカ」に郷愁を抱いている。それに対して、北部は変化と多様性に対して開かれている。

南北戦争の総括ができていない

―― 一つのアメリカに二つの地域があるというより、二つのアメリカがあるという印象です。ここから南北の対立が生まれる。 内田:ヨーロッパから来たリベラルな「48年世代」は北軍に参加しました。例えば、ヨーゼフ・ヴァイデマイヤーという人物がいます。彼はマルクス、エンゲルスの同志として共に『新ライン新聞』を立ち上げ、アメリカ最初のマルクス主義組織である「アメリカ労働者連盟」を結成した人物です。ヴァイデマイヤーは南北戦争が勃発すると北軍に志願、大佐として歩兵連隊を指揮してセントルイス攻防戦を戦いました。また、ロンドンにいたマルクスは、リンカーンが再選された時に第一インターナショナルを代表して祝電を送っています。  僕たちは米ソ東西冷戦の印象が濃すぎるので、かつて社会主義者のアメリカ市民たちがリンカーンを支持して、南北戦争を戦い、戦後の北部の指導層を形成していたという歴史的事実を見落としがちですけれど、それを知らないと今のアメリカの南北対立の根の深さはわからないと思います。 ―― 南北戦争後も南北の対立は続いています。 内田:日本ではよく先の戦争の総括がされていないと言われますけど、アメリカでも南北戦争の総括が困難であるのは同じです。  マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』は1885年、南北戦争終結の20年後に書かれました。主人公のハックルベリー・フィンは南部人ですから、奴隷制を悪い制度だとは思っていない。けれども、もののはずみで黒人奴隷のジムが逃亡するのを手助けしてしまう。だから、旅の間ずっとハックは「自分は罪を犯した」と苦しむのですが、しだいにジムに人間的信頼と敬意を抱くようになる。義理と人情のはざまで葛藤するハックはいわばその一身において南北の葛藤を生きているわけです。『ハックルベリー・フィンの冒険』は南部の読者も北部の読者も、どちらも深い共感を持って読むことができる南北戦争後最初のアメリカ文学でした。だから、マーク・トウェインは「アメリカ文学の父」と呼ばれることになった。  この衣鉢を継いでいる一人がクリント・イーストウッドだと僕は思います。彼はカリフォルニア生まれですが、気質的には南部人です。彼が演じる男性主人公はたいてい根はレイシストでセクシストですが、人間的な情にほだされて、はからずして有色人種や女性を守る側に回ってしまう。『グラン・トリノ』も『ミリオン・ダラー・ベイビー』も『運び屋』も「そういう話」でした。イーストウッドは「表向きはレイシストでセクシストだけれど、深いところではいい人」という葛藤を抱えた人物を造形することによって、「ポリティカル・コレクトネス」と白人男性の口に出せない不適切な本音を物語レベルにおいて和解させようとしたのだと思います。
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華夷秩序を放棄し「国境線」を意識し始めた中国
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月刊日本2020年8月号

【特集1】岐路に立つ日本

【特集2】「トランプ以後」の世界

【特集3】「経産省内閣」の正体