―― BLM運動は「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」(独立宣言)という建国の理念に基づいていると思います。しかし、BLM運動の矛先は歴史に向かい、コロンブスやリンカーン大統領、ウィルソン大統領が批判されています。建国の理念が建国の歴史を否定しているのではないですか。
内田:アメリカ建国から250年が経ちますが、「建国の理念」はいまだ十全には実現していません。1776年の独立宣言で「すべての人間は生まれながらに平等である」と謳ってからも、1862年に奴隷解放宣言が発令されるまで奴隷制は存続しましたし、1964年に公民権法が成立するまで公然たる人種隔離・人種差別が存在しました。そして、2020年の現在、BLM運動が起きている。いまだに人種差別は解消されていないということです。しかし、それでも万人の平等をめざす建国の理念は漸進的であれ実現しつつある。だから、建国の理念と建国以後の歴史の間に矛盾があるとは言えないと思います。
でも、現時点での判断で、歴史上の人物を断罪するのはやり過ぎではないかと思います。例えば、ウッドロー・ウィルソンは人種差別撤廃に積極的ではなかったとして、彼が総長を務めたプリンストン大学は学部や建物から彼の名前を外すと発表しました。
現在の価値観からすればウィルソンの思想には瑕疵があるかも知れませんが、それでも南北戦争後はじめての南部出身の大統領として南北和解に努め、第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議でリーダーシップを発揮し、アメリカ外交の基本理念をかたちづくった功績を軽んじるべきではないと思います。ここはイーストウッド風の「多少は政治的に正しくないこともしたかもしれないけれど、総じていい人だった」くらいの玉虫色の評価でとどめおいてもよいのではないかと思います。時代が違うんですから。
確かにBLM運動は政治的に正しい。しかし人間は自分が正しいと確信した時に過剰に暴力的になることがある。正しさが分泌する過剰な暴力性については、「正しい人たち」はもう少し自制心を持つべきだと思います。人間はつねに正しくはいられないからです。攻撃性や暴力性や差別意識は程度の差はあれ、誰にでもある。それを自省し、抑制するためにはそれなりの手間暇がかかります。
だから、いきなり「お前はダメだ」と断罪してしまうと、自己変革・自己抑制の意欲そのものが殺がれてしまう。そして、中には「どうせオレはレイシストでセクシストだよ。それのどこが悪い」と居直る人が出てきてしまう。この居直り的な「政治的に正しくない人」が今のアメリカには大量発生した。
これはもちろんトランプの登場が最大の原因ですけれど、トランプを大統領に押し上げたのは、「政治的正しさ」の過剰に対する大衆の倦厭感です。人間の反省能力や自己変革能力を過大評価してはなりません。ちょっとずつ、忍耐強くやるしかない。ことを急ぐと反動も大きい。
これからアメリカの国民的分断がどうなるのか。国民的和解を誰かが実現してくれるのかどうかは分かりません。でも、長期的・集団的には、アメリカは建国の理念に沿うかたちで変化してゆくと思います。
―― 内田さんは前回のインタビュー(月刊日本2020年5月号)でコロナを機に中国の存在感が強まり、世界的に民主主義が抑圧される危険性があると指摘しましたが、アメリカが「鎖国」している現在、中国は国家安全法で香港を弾圧し、台湾や尖閣諸島に対する圧力を強めています。
内田:中国は一国二制度を廃止して香港の直接統治・実効支配に乗り出しましたが、これを見ると、中国は伝統的な華夷秩序のコスモロジーを放棄した可能性があります。
中国人は伝統的に中華思想に基づく華夷秩序のコスモロジーのうちにありました。世界の中心(中原)には皇帝がいて、そこから同心円的に「王化の光」が広がる。光は周縁部に行くほど暗くなり、そこから先は闇に包まれた「化外の地」になり、住人は禽獣に近づく。中華思想からすれば、帝国の周縁部は「中国であるような中国でないような」ぼんやりしたグレーゾーンが広がっている。つまり、近代的な意味での国境線という発想がないのです。
華夷秩序では、中華皇帝は東西南北の蛮族たちを実効支配する気はない。中華文明にあこがれて冊封体制に加わった辺境の朝貢国には、中華皇帝が官職を与えて、「高度な自治」を保障した。つまり、辺境の統治は伝統的に「一国二制度」だったのです。
国境線についての鈍感さは華夷秩序の一部だった日本でも同じです。国境線への関心が高まるのは幕末からです。そして明治維新で意識が一変する。
日本は維新後、近代的な主権国家に生まれ変わり、積極的にそれまでグレーだった国境線の画定をめざします。そして、日清間で琉球王国、台湾、朝鮮の帰属問題が浮上する。当時、琉球王国は清朝と日本に両属していましたし、台湾も中国領土ではあるけれど、そこに住む「化外の民」がしたことについて清朝は責任を持たないと主張していました。
この華夷秩序のロジックに対して、近代化した大日本帝国は「化外の地」については、これを「実効支配していない以上、中国の主権が及んでいる領土ではない」と主張して、琉球処分、台湾出兵、朝鮮出兵と清朝の版図を刻み取り、最終的に日清戦争後の下関条約で帰属問題に片をつけることになりました。
それでも、中国の国境線意識はその後も本質的には大きくは変わりませんでした。日中友好平和条約を結んで国交正常化が成った際には、尖閣諸島の帰属が問題になりましたが、鄧小平の提案で棚上げになった。中国の国内的にもあまり問題にならなかった。ということは、国境線の画定を急がない伝統的なコスモロジーが鄧小平の時代まではまだ生きていたということです。
ですから、今回の香港問題でわれわれが驚くべきなのは、明治の日本が琉球処分や台湾出兵で使ったロジックを今度は中国が使い出したということです。いまの中国政府は国境線が画定していないことを「気持ちが悪い」と感じるようになった。自国の主権が及ぶ範囲はどこまでなのか、「白黒はっきりさせたい」と思うようになった。
中国は以前から台湾、チベット、ウイグルについて「絶対独立を認めない」という強硬姿勢を示してきましたし、胡錦涛の時にはロシアとの間の国境問題を解決してきましたから、21世紀に入ってからは近代的な国境概念を持ち出したと言えます。でも、香港問題でついに「一線を越えた」という感じがします。
―― 中国は「香港処分」を行った。歴史が繰り返すならば、次は「台湾出兵」と「日清戦争」になります。
内田:香港の「高度な自治」を否定したということは中国が「一国二制度」をできるだけ早く解決すべき「問題」だと考えるようになったということです。だとすると、台湾や尖閣の帰属問題も前景化してくるでしょう。