やっぱりMMTに飛びつくべきではないたった一つの確かな理由
前々回、前回とMMTについて論じるところがなかなか本題にたどり着かなかったが、今回はやっと本題に移ろう。
経済学の「科学革命」と支持者から言われる、MMT(現代貨幣理論・Modern Money Theory)によると、政府はもっと臆せず財政出動していい。どんどん金を使っていいことになる。なぜなら、国債の元本も利子も、貨幣を刷ることによって、いくらでも、確実に返済できるからだ。それが事実なら平成から続く、この日本を覆う重い閉塞感は打破できるかもしれない。そこに反緊縮派の一部の野党や一部のリベラル派が飛びついた。
MMT理論に基づいて、もっと財政出動をしよう。金のない人に金を渡し、古びた道路や鉄橋、公共施設を建て替え、インフラを21世紀後半にも耐えうるものに造り替えよう。今までのような財政規律に縛られる必要がないのであれば、辺野古にいくら金を使っても、使わない公共ホール、ほとんど使われないスポーツ施設にも金を出しても大した問題ではないのかもしれない。どんどん国債を発行し、現金を刷って使えばいい。何しろ、元本も利息も日本円で返せばいいからだ。コロナで困ってる今ならば、特別定額給付金も1人10万円なんてみみっちいことを言ってないで、1人100万円、いや500万円渡したらいい。何しろ国債を発行して金を刷って渡すだけなのだ。いや、今や金を刷る必要もない。銀行口座に振り込むだけなら、データの入力だけで済む。エンターキーをストロークしてやればいいだけのことだ。とことん大盤振る舞いをすればいい。
この文章をここまで読んでくださってる読者で、経済のことにあまり関心がない人でも、そんなことはきっとおかしい。それは、何が何でもちょっと滅茶苦茶だと感じるだろう。直感でダメだと思うのだ。私は、その感覚こそ正しいと考える。
実はMMTについて記された著作にも、上記の様な原則があるにしても、それは政府は無制限に支出すべき、という意味ではないと書かれているし、同時に政府は自国通貨で売られているものなら、何でも購入すべき、という意味ではないとしている。しかし、その線引きは曖昧だ。だから、私は容易に想像できる。MMTを民主主義国家で本格的に採用するとなったら、選挙を前に政治家たちは大盤振る舞いの競争をするだろう。あなたにも、あそこも、もっと金を出す必要があると始まるはずである。なぜ、そんな戒めをMMT論でも記されるのだろうか。それは、インフレを引き起こす可能性があるからだ。
前回までに記したようにMMT理論でも、財政支出に関して、こんな注意書きはつく。政府による過大な支出はインフレを誘発する可能性がある。そう記している。しかし、インフレといってもいろいろだ。それは黒田日銀総裁がかつて目標として掲げた年2%程度の緩やかな物価上昇などと言う許容範囲内のインフレだけではない。そうした低い上昇率で留まる保証はどこにも無い。私は1970年代の原油価格高騰によって引き起こされた狂乱物価を経験している。バブル経済の狂気も渦中にいた。インフレ率が高くなってきたので、積極財政をやめ増税し金融をひき締めて落ち着かせよう。実際の経済は、そんなにうまく手綱をさばけるものではない。むしろ、物価高に一度火がついてしまえば、実質15%や20%のインフレになるかもしれない。私はそう危惧する。
もっともMMT理論によれば、生活者にとって壊滅的なハイパーインフレ(超インフレ、年率200%といったもの)は、今や起きないとしている。その理由に1970年代以降に世界の主要国が変動為替相場制に以降した後にハイパーインフレに陥ったことはないし、過去の事例、例えば教科書などによく画像が載っている第一次大戦後のドイツ、南北戦争時のアメリカ、そして、近年のジンバブエなどのハイパーインフレの例を調べると、それは通貨供給が理由ではなく、需要に対して供給が少ない、つまり商品が少なすぎたり、政治的混乱などで税の徴収が適切に行えなかったからだとしている。しかし、世界のどこの国でも、未だMMTを採用して本格的な経済運営をした政府はない。だから、上記の検証だけで、MMTな世界でもハイパーインフレが起こらないと結論するのは早急ではないかと思う。
そして、ハイパーインフレではないとしても、戦後の日本が経験したインフレの時代。そこそこの高率で上がる物価高という環境を、すでに日本は30年以上経験していないのだから、インフレとなれば、それが市民生活、企業経営に与える影響は少なくないはずだ。そして、もう一度言うが、物価、インフレのコントロールは難しいのである。日本が今から30年と少し前に経験したバブルの時代の狂乱を振り返ってみよう。
1989年は7日間だけだが昭和の最後の年であり、平成元年でもある。当時はバブル経済真っ盛りだった。日常で使う食料品などの価格は比較的落ち着いていたが、家賃、土地や株価、絵画や贅沢品の価格はとにかく上がっていった。この年の4月1日には初めて消費税が導入された。税率は3%だった。また、行きすぎたバブル経済を抑えるために日銀は1989年5月に政策金利を引き上げた。金利を上げる=金融引き締めに転じたのだ。
しかし、増税し、金利を上げ金融政策を180度転換しても、土地価格も株価もその後も上がり続けた。日経平均が最高値の3万8900円をつけたのは1989年12月29日なのである。もちろん何回もの金融引き締めで効果はやっと出た。1990年以降、株価も土地価格の高騰も減速する。しかし、減速では済まなかった。今度は大幅に下落し始めて止まらなくなったのだ。
日経平均の下落が落ち着きを取り戻したのは1992年に入ってからで、最高値の3分の1に迫る15000円前後まで落ちてしまった。土地価格も50%以上も急落したところは珍しくない。この下落によって日本の金融機関は多額の不良債権を抱えることになってしまい、平成の前半はこの後処理問題に追われることになる。さらに追い討ちをかけたのが、BIS(国際決済銀行)によって導入された会計上の国際ルール、自己資本比率の厳格化だった。日本の金融機関はダブルパンチを受けてしまう。こうして失われた20年(実際はもっと長い)と言われる平成不況に陥ってしまうのだ。
このように、一度火がついてしまうと好景気も、凍り付いてしまった不景気に対しても、金融政策も財政出動でも、ちょうどいい案配のところに着地させる処方箋はないものである。インフレをMMTの言う様に増税や財政の絞り込みで影響を与えることはできるだろうが確実ではないのだ。MMT理論にある、インフレに困ったら増税すればいい、財政規模を減らせばいいと言う断り書きだけで納得できる筋合いのものでは決してない。これでは、まるで薬瓶の裏書きにある、飲んでみて体調に異変を感じたら投薬をやめてくださいと言うのと同じだ。頭痛薬や風邪薬ならやめればいいのだろうが、毒薬を飲んでしまったら、飲むのを辞めても健康被害は甚大なのだ。
MMT理論に抱いた「違和感」
バブルを振り返れば見てくる「事実」
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