思い出してほしい。新型コロナウィルスの経済政策として打ち出された一人10万円の特別定額給付金や、毎年の夏と冬のボーナスシーズンには、よくこんなアンケートがよくされる。
“あなたは、この夏のボーナスを(特別定額給付金を)、いったい何に使いますか?”と言う質問だ。そして、過半数は貯蓄に回すという答える。生活に困窮し日々の生活に余裕がなく必要最低限のお金にも困ってる人は、新たな収入は生活費に回すだろう。しかし、それ以外の層では、多くのカネは貯蓄するのだ。カネは使われることなく、銀行などの金融機関に戻っていくのだ。それらのカネは企業に貸し出されるわけでもなく今は金融市場に向かってしまう。日本の個人消費は冷えたままだ。
では、国が無尽蔵に公共投資などの財政出動を続ければいいのだろうか? 本当に必要なものだけでなく、車のあまり走らない道路を作り、使われない公共ホールを建て、民間がすでに何十年も経った古い本社ビルを活用しているときに、役所だけは新築していけばいいのだろうか? もちろん、そのような支出であっても少なくとも建設業者は潤い、そこで働く従業員には給与も払われる。資材や運搬など関係会社にも恩恵は巡っていく。しかし、その効果は限定的だ。
そして、それが長年続く今の日本のこの構造的な不況を反転、閉塞感を打ち破り、消費者や企業がお金を使うようになり、景気の好循環が生まれるとも思えない。私に言わせれば、
アベノミクスの金融政策も、もちろんMMTも何か肝心なことが抜けていると思うのだ。
景気回復のために必要なことは、
この先行き景気は良くなっていくだろうという気持ちと期待が必要なのだ。企業も消費者も日本経済の先行きは明るい。そう思える。思うだけでなく、だからカネを使い始める。それが無い限り、今の未曾有の金融緩和政策と同じように、たとえMMTによる莫大な財政出動をしたとしても、カラカラの砂漠に巻かれた水のようにあっという間に吸い込まれ蒸発してしまうと思うのだ。今の経済政策、金融政策では広範な企業のマインドを変え国民が消費を力強く動かす気持ちになれない。経済に対する期待がないからだ。なぜ、私が期待にこだわるか?
日本国民や企業にカネが無いわけではないからだ。毎日の生活に追われカツカツのところで暮らしている消費者や、月末に運転資金を常に心配している企業には確かにカネはないかもしれない。しかし、偏在はしているが、日本には企業にも国民にも莫大な金が眠ってる。企業の内部留保金は今や500兆円、国民の金融資産は1900兆円もある。定期預金や現金などの残高だけで1000兆円以上にもなるのだ。これらが、その一部でも使われ始めれば景気は一気に好転する。しかし、どちらの資金も頑なに動かない。むしろ、年々積み上がっていく。まるで氷河期や淀んだ沼のようだ。使わず貯める。その理由は、企業は不景気がいつ来てもいいようにと内部留保を貯めこみ、個人は将来が不安だから使わずに貯蓄するとなる。もう一度言いたい。
日本経済に必要なのは、希望と期待だ。将来に対する不安の払拭=安心なのだ。
しかし、その不安の払拭を待っているだけでは仕方ない。少なくとも日本政府がすべき経済政策はある。それはほとんどの野党がすでに主張している。まずは
富の再分配、偏在を正すことだ。生活や教育費に困っている層や、もう少し収入があれば生活の質をすぐにでも良くしたいと切望している階層、中流や所得が少なく困っている層にカネをもっと確実に流す政策が必要だ。
それは、地味な政策ではあるが、確実に個人消費を増やし経済が回っていく。そして、21世紀の日本をリードするような産業育成を地道に行うことも必要だ。その芽は日本にはある。しかし、
政府のしていることは真逆だ。たとえば、世界の生命科学をリードする、ノーベル賞を受賞した京都大学のips細胞の山中伸弥教授とその研究所への公的助成は絞ったりするのだ。そんなことをしてはいけない。3つ目に、AI時代にも負けない次世代の日本国民を世に送り出すことも必要不可欠のはずだ。そのためには時間もカネもかかるかもしれないが、近代日本がカネのない時から地道に行ってきた
教育に対する継続的な公的支出を行うことだ。しかし、この7年の日本の教育予算は先進国で突出して貧相になってしまった。
申し訳ない。現代貨幣理論、MMTの話から逸れてしまった。次回はその考察を続け結論まで到達したい。ここまで読んでくださってありがとう。
<文/佐藤治彦>