いざ自分が発達障害かもしれないと思ったとしても、なかなか受診に踏み切ることができない人も多く、さらにそれをカミングアウトするとなると、二の足を踏んでしまって当然だろう。そのため、
病院を受診していなかったり、受診していてもカミングアウトしていない発達障害者は大勢いる。
もしかして自分の部下は発達障害なのではないか、と考えてこの記事を読んでいる方もいるかもしれない。そういった時に、最も大切なことは、まずはその問題となっている
特性にフォーカスして対応することだ(ここでいう特性とは、たとえばミスをするなどの具体的な業務上の困難のことを指す)。
重要なのは、発達障害であるかどうかではない。むしろ、問題となっている特性が仕事上で問題とならないようにすることが、重要なのである。たとえばミスが多いとすれば、どうやったらミスが減らせるのか一緒に工夫を考えていく。
その上で、もしミスが減らなければ、その工夫のひとつとして医療機関への受診を勧めてみたり、配置転換を検討してみたりするのもよいかもしれない。
発達障害をカミングアウトされたとき、まず最初に必要なのは、
「発達障害だから○○」と決めつけないことである。ここでは、よくある決めつけの例を3つ挙げたい。
まず、最も良くない決めつけの例は、
「発達障害はダメ」とすぐさま断定し、切り捨ててしまうというものだ。日本ではなかなか従業員の解雇はできないものの、発達障害者に対して、極端に簡単な仕事ばかり任せたり、そもそも仕事を回さなかったりすることが多いが、それは本人にとっても、会社にとっても不幸なことだ。
さらに、この決めつけが無意識の偏見となったときには、事態は悪化する。ひどいケースでは、ADHDを持つ従業員に対して、上司が他の人のミスの責任を押し付けることもあるという。
先ほど述べたように、ひとくちに発達障害といっても多様であり、ひとくくりに断定することはできない。確かに発達障害由来の特性が原因で業務がうまくいっていないこともあるかもしれない。しかし、
発達障害者は工夫をしたり、配置を変えたりすれば、うまくいくことも多々ある。
また、うまくいかないのは特性が原因なのであって、発達障害という病名が付くことそれ自体が原因であるわけではない。「発達障害だからダメ」ではなく、たとえば
「ミスが多いから、今の業務はうまくいっていないが、何か工夫ができるのではないか?」といった発想が必要なのである。
次に、良くない決めつけの例として、
「きっと他に特別な才能があるに違いない」といったものがある。
確かに発達障害者のなかには天才と呼ばれる人たちがいる。しかし、天才はほんの一握りであって、
ほとんどの発達障害者は凡人なのである。
その中で、たとえば、別業務にすれば、非常な力を発揮するかもしれないなどといった過剰な期待はパワハラにもなりえる。また、そもそも発達障害者がみな天才であるかのように述べ立てることは、まるで健常者なら凡人でも生きていてよいが、発達障害者は天才でないと生きていてはいけないとでもいうかのようだ。マイノリティは自分の力を使って社会に役立たない限り、許されないとでもいうのだろうか?
良くない決めつけの例として、最後に挙げておきたいのが、
「発達障害者も健常者となんら変わるところがない」というものだ。
「普通の人と何も変わらないんだから、気に病まないでいい」という言説は、一見すると発達障害者の側に立っているように思えるが、実はそうではない。発達障害者というものは、見かけでは全く困難がわからない一方、本当は大きな困難を抱えている。健常者とは「違う」から困っているのである。その「違い」をないものとして扱われ、スタンダードを押し付けられてしまっては、その困難を解決することはできないのである。
障害の「社会モデル」という考え方がある。簡単にいうと、「障害は人の側にある」と考えるのが障害の「医学モデル」であり、「障害は社会の側にある」と考えるのが障害の「社会モデル」だ。
たとえば、身体障害でいうと、階段が登れないのは足に障害があるからではなく、車椅子で登れるエレベーターがないからだ、という考え方が、「社会モデル」だ。
差異は確実にそこにあり、その差異を障害にしているのは、社会なのだ。発達障害者と関わる上で、それは忘れてはならないことだと私は思う。