ポストコロナの世界で私たちが目指すべき社会の姿とは?

開発に依存する社会が命を奪う

 同様のジレンマに陥っているのが、開発と防災の関係です。ここでいう開発とは、人間の能力などについての開発でなく、山林を切り拓いたり、海岸を埋め立てたりすることの開発です。  日本では、経済活動のための土地が不足しているとして、長年にわたり開発を続けてきました。当初は、それまで田畑として使われてきた土地を宅地や工業団地にしてきましたが、やがてそれでは不足し、山林や沼地、海岸などを開発するようになりました。  開発が災害の危険性の高い場所に及ぶと、災害を防ぐための施設を建設して「安全」にしました。災害を防ぐための施設とは、治水ダム(多目的ダム)や砂防ダム、法面工事(がけなどをコンクリートで固める)、堤防、防潮堤、消波ブロックなどです。例えば、上流にダムを建設して河川流量をカットして、それまで洪水時の遊水地として使われてきた田畑を宅地にしたり、急傾斜地に砂防ダムを建設して、がけ下に高齢者施設を建設したりしました。  こうした開発は、防災政策だけでなく、景気対策としても実施されてきました。工事そのものの経済効果に加え、人々や企業に新たな土地やインフラを提供することで、日本全体の資本を増やしてきたのです。そのため、景気が落ち込むと、政府・自治体は真っ先に公共事業費を増額してきました。  しかし、ダムなど災害を防ぐ施設は、想定内の災害に対して絶対的な効果を発揮する一方、想定を超えた災害に対して、無力となるばかりか、災害を増幅させる危険を有します。例えば、治水ダムは過去の降雨パターンを基にして建設されるため、その降雨パターンよりも豪雨が長く続いた場合、河川流量が危険レベルにあるときに、緊急放流に追い込まれる可能性があります。緊急放流になると、水かさと勢いが急激に増すため、堤防や橋げたなどに大きな負荷がかかります。  これからは、気候変動によって想定外の風水害が頻発すると予測されていますので、ダムなどの災害を防ぐ施設に依存することは、命を危険にさらすおそれがあります。さらに大きなダムやたくさんのダムを建設すれば、それらの想定を超えた風水害の場合、さらに危険を増すだけです。それは、気候変動と公共事業のチキンレースを意味します。  つまり、開発に依存する社会になってしまっている結果、開発と防災のどちらを重視しても、命の危険につながるジレンマに陥っています。

命と生活を守る社会への政策転換

 気候変動のリスクが高まるなか、経済活動と感染防止、開発と防災という二つのジレンマを解決するには、どうすればいいのでしょうか。  それには、好景気でなければ生活が苦しいという前提をひっくり返し、景気変動と人々の命・生活を切り離す必要があります。景気が良くても悪くても、誰もが一定水準(健康で文化的)の生活ができる社会です。その旨は憲法25条で定められていますが、未だ実現していません。  具体的には、生きるために必要なサービスを公共(政府・自治体等)が供給する社会です。それを井手英策・今野晴貴・藤田孝典は「ベーシック・サービス」と呼んでいます(『未来の再建―暮らし・仕事・社会保障のグランドデザイン』ちくま新書)。「ベーシック・インカム」では、人々におカネ(現金)を給付し、給付された人は必要なサービスを市場から購入します。一方、この「ベーシック・サービス」では、必要なサービス(現物)を必要とする人に給付します。  景気変動に伴う失業リスクには、失業中の所得と新たなスキル(職業能力)を提供します。欧州で広く実施されている「積極的労働市場政策」です。失業中に高度なスキルを身につけてもらい、成長分野企業など好待遇の職への転職を後押しします。企業を救わず、労働者を救う政策とも呼ばれます。  開発の目的についても、従来の景気対策や土地資本の拡大から、人々の生活の質向上へと転換する必要があります。空洞化しつつある既存市街地に投資し、誰もが歩いて暮らせる街にすれば、わざわざ災害リスクの高い土地を利用する必要は薄くなります。とはいっても、デベロッパー主体の住民を軽視した都市再開発でなく、住民参加の都市計画に基づく、住民本位のまちづくりです。こうしたまちについて、村上敦は「ショートウェイシティ(移動距離の短い街)」と呼んでいます(『ドイツのコンパクトシティはなぜ成功するのか』学芸出版社)。  これら「ベーシック・サービス」「積極的労働市場政策」「ショートウェイシティ」などを総称すれば「社会的共通資本」となります。人々の生活や経済活動を支える自然環境やインフラ、法規制、仕組み、公共サービスなどのことです。経済学者の宇沢弘文(1928-2014)の考え方です。  要するに、新自由主義経済から社会的共通資本経済に転換することが、ポストコロナで求められているわけです。経済思想的には、ミルトン・フリードマンから宇沢弘文への転換です。  これこそ、野党に求められる役割です。フリードマンの経済思想に基づいて従来の社会を引っ張ってきた自民党に代わり、宇沢弘文の経済思想に基づいて社会を立て直すことが、野党に求められています。  そして、野党に期待できそうです。なぜならば、先ごろ発表された立憲民主党の枝野幸男代表の政権構想私案「新自由主義的社会」と「小さすぎる行政」の脆弱さとの認識を示しているからです。これに基づき、野党議員と市民の間で広く議論が交わされることを期待します。 <文/田中信一郎>
たなかしんいちろう●千葉商科大学准教授、博士(政治学)。著書に著書に『政権交代が必要なのは、総理が嫌いだからじゃない―私たちが人口減少、経済成熟、気候変動に対応するために』(現代書館)、『国会質問制度の研究~質問主意書1890-2007』(日本出版ネットワーク)。また、『緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説 「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』(扶桑社)では法政大の上西充子教授とともに解説を寄せている。国会・行政に関する解説をわかりやすい言葉でツイートしている。Twitter ID/@TanakaShinsyu
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