私が2015年にシリアで拘束された際は、拘束者から「日本政府と交渉する」と言われて監禁され、「人質」であったことは間違いないだろう。しかし、
2004年のイラクでの拘束が「人質」であるという報道は何ら根拠のない事実上の誤報で、人質にされたのはシリアの1回だけだ。
「
1回だけだとしても批判されて当然だ」と言う人が出てくることが予想できるが、それは別の話だ。虚偽の情報、デマを流してよい理由にはならない。そして、
デマに基づく批判は批判ではなく誹謗中傷でしかない。
「人質」とは何か。辞書を引いてみるとこうある。
「①交渉を有利にするために、特定の人の身柄を拘束すること。また、拘束された人。②近世以前、借金の担保として人身を質入れすること。誓約の保証として妻子や親族などを相手方にとどめておくこと。また、そのようにされた人」(大辞泉)
「①要求実現や自身の安全のために、脅迫手段として拘束しておく人。②約束を守るあかしとして、また経済上の担保などとして、相手方に預けられる人。近世以前に行われた。③人身を質に入れること」(大辞林)
「拘束」は「①思想・行動などの自由を制限すること。②犯人や被告などの行動・自由を制限すること」(大辞泉)、「①捕らえて、行動の自由を奪うこと。②行動や判断の自由を制限すること」(大辞林)とある。
人を捕らえて、その交換条件として何かを要求した場合、または何かの交換条件のもとに人身を相手方に預けた場合に初めて「人質」になる。捕らえられればその時点で「拘束」だが、拘束だけでは「人質」ではない。何かしらの交換条件を伴うのが「人質」だ。
例えば、どこかの企業の敷地に入り込んでしまった人が、警備員に呼び止められて警備室で事情を聞かれた場合、政府や家族に身代金などを要求されることはまずないだろうし、連絡すら取られることなくそのまま解放される事例がほとんどだろう。
この場合は「人質」ではない。拘束者から要求があって政府や家族が何かしらの対応をしなければならない「人質」と、何も要求がない「拘束」では事例の性質がまったく異なることが分かるはずだ。
私について「何回も人質になっている」などと書いている記事の中で、一般的な辞書にない独自の「人質」の定義をしているものはない。一般の読者がよほど特殊な読み方をしない限り、辞書に収められた言葉の意味から外れた解釈をすることはないだろう。
これらの記事は「捕らえられただけではなく交渉のための要求がされた人質」という一般的な「人質」の意味で「何回も人質になっているという事実がある」と述べているわけだ。
イスラム国(IS)との戦闘で死亡したイラク軍兵士の遺体を埋葬する家族=2014年5月11日、イラク中部ナジャフ
シリア以外で「人質」と報道されたのはイラクでの拘束だが、これは
何ら要求も連絡もない「拘束」であり、「人質」ではない。それは公開された公文書からも明らかだ。その経緯から振り返る。
2003年3月に開戦したイラク戦争は、サダム・フセイン政権崩壊後、占領軍である米軍への抵抗が広がった。特に激戦となったのが2004年4月のファルージャ包囲攻撃だ。首都バグダッドの西約60kmにあるファルージャは占領統治への抵抗が強く、米軍が包囲攻撃を行い、1週間でイラク人側の死者は700人以上に達した。
その包囲攻撃の最中の4月8日、隣国ヨルダンからバグダッドに陸路で向かっていた日本人3人がファルージャを通過しようとした際に武装した集団に拘束され、当時イラクに駐留していた自衛隊を3日以内に撤退させなければ殺害する、との声明が拘束者から出された。身柄の対価としての要求がされた人質事件である。
日本政府は自衛隊撤退を拒否したが、3人は同15日に無事解放された。その前日の14日、バグダッドとファルージャの間にあるアブグレイブで、取材に同行していた市民活動家の渡辺修孝さんとともに拘束されたのが私の件だ。
拘束直後に解放された私の通訳が旧知の日本人ジャーナリストにメールで知らせ、日本メディアは即座に大々的に報道し、一部は何ら根拠を示すことなく「人質」と表現した。拘束者側から何も声明や動画などは出されず、家族にもまったく接触がないまま同17日に解放された。