三峡ダムがこのまま土砂を貯め続ければ、取り返しのつかないことになる
現在の時点で、ダム貯水湖に堆積している土砂は19億トンと推定されている。大河である長江の水流は、今ならこれらを海まで運ぶ力を持っている。しかし
このままダムが土砂を貯め続ければ、30年後には土砂の堆積量は40億トンを超えるとみられる。
そうなれば、無理に土砂を海へ流そうとしても堆積して流れず、取り壊すことすらできなくなってしまう。
今のうちにダムが壊れて3億~6億人の人が被災するほうがマシとすら思えるほど、どうにもならないものになっていくのだ。
もちろんそれは中国の被害だけでは終わらない。濁流は長江から南に向かう海流に押されて日本にすぐに届くだろう。すでに長江に棲んでいた淡水イルカは絶滅したとみられ、これと同じことが海に起こるかもしれない。
三峡ダムの形が変形していることは、2019年7月より言われ始めた。これはグーグルマップの衛星画像を示して
「歪んでいる」と指摘されたものだ。中国政府はこれに対し、
「グーグルマップのアルゴリズムのせいであって、何の問題もない」と反応。さらに設計上は何の問題もない範囲だとしている。
このことも信じがたいが、さらに信じがたいのは
この三峡ダムが特に警報を伝えることもなく放水していることだ。確かにすでに上限水位を2m越えているというが、だからといって放水されたのでは、いつ何時洪水になってもおかしくない。
日本の全人口の数倍という地域に、静かに放水されたのではたまらない。これが今現実に起きているのだ。今回は大丈夫であったとしても、次の雨の時期はだうなるだろうか。とんでもない爆弾を抱えることになってしまった。
近代からのダム建設はせいぜい100年程度しか歴史がない。しかもその歴史の中で、すでにたくさんのダム決壊の記録がある。アメリカのフランシスダム、ティートンダムなどの決壊、イタリアのバイオントダムの決壊(『世界最悪のダム事故』というイタリア製の映画にもなっている)など、枚挙に暇がないほどだ。
現時点までの世界最大のダム事故は、
1975年8月に中国で起きた河南省駐馬店の「板橋ダム」および「石漫攤ダム」の2基の大型ダムと、2基の中型ダム、さらに58か所の小型ダムが決壊したダム事故だろう。
1975年8月4日、台風3号が台湾を経由して福建省に上陸した。普通は大陸に上陸した台風はすぐに衰退して消滅するが、この時は熱帯の気象が強烈で、上陸後にも速度が落ちたものの勢力は落ちず、長江(揚子江)に沿って大陸中央を通過した。
8月4日から8日までの降雨量は1631mmに達し、8月5日から7日の3日だけで降雨量は1605mmを記録した。8月5日、板橋ダムの管理室が水に浸かって電話が使えなくなり、その後下流への危険信号が送れなくなっている。周辺の村は全体が60cmほど水に浸かり、民家の倒壊はすでに始まっていた。老人や子供の救出が始まり、警察は「関係書類」の保存に懸命となっていた。
8月6日、駐馬店地方も洪水となり救援活動が始まった。ダムはゲートの放水を最大に切り替えたが、ダムの水位は上がる一方だった。ダム容壁を大砲で破壊し放水量を増加しようとしたが、近隣には大砲があっても玉がなかったのだ。
16時頃から暴雨が11時間連続する事態となり、数度の緊急会議が開かれたが「ダム決壊」を予測する人は居なかった。唯一のダム批判者の陳星氏は「ダム容壁爆破」を提案していたが、この意見をダムへ送る通信手段が切断していた。
7日21時頃から中型・小型の周辺ダム決壊が始まった。ダム周辺の水没した村の水位はさらに増加し、人々は恐怖に包まれていた。その後一瞬の雨上がりがあり、人々が「雨が止んだ」と歓喜する声が広がったとき、皮肉なことに巨大な「板橋ダム」が決壊。日本の最大ダムの徳山ダム(総貯水容量:6億6000万㎥)より大きい8億㎥の水が洪水となって周辺と下流域全体を襲った。
おそらく数万人が洪水で直接死亡し、水没した土地に数百万人が残された。そして疫病が猛威を振るい、飢えと疾病で数万人が死亡した。ウイキペディアでは、
直接の水害で2.6万人が死亡し、その後の食糧危機や感染病によって数十万人が死亡したとされる。報道が禁止されていたため、正確な数字は不明だ。
スリランカのダムは地域のためにある
これが犠牲者数から見て、世界最大のダム事故だ。「ダムは安全」と誇れるような実績はない。スリランカには数千年前からの木造のダムがある。これは堆積した土砂を吐き出せるように、人工的に壊せるように造られている。
ところがこの約100年の間に造られたダムは、壊せるように造られていない。しかし必ず寿命は来るのだ。