この法案は、コロナ感染とは全く関係なく立案されてきたものである。しかし、監視社会化の批判が起きる中で、政府・与党からは、感染対策のためにも監視の強化が必要であると指摘された。この点については、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が
「ここが政治の分かれ道~新型コロナ」(朝日新聞2020年4月15日)において、次のように述べていたことが参考になる。
「
独裁体制でも中国は、うまくやっているように見えます。中国がもっと開かれた民主主義の体制であれば、最初の段階で流行を防げたかもしれない。ただ、その後の数カ月を見れば、中国は米国よりもはるかにうまく対処しています。一方でイランやトルコといった他の独裁や権威主義体制は失敗している。報道の自由がなく、政府が感染拡大の情報をもみ消しているのが原因です」
「
長い目で見ると民主主義の方が危機にうまく対応できるでしょう。理由は二つあります」
「
情報を得て自発的に行動できる人間は、警察の取り締まりを受けて動く無知な人間に比べて危機にうまく対処できます。数百万人に手洗いを徹底させたい場合、人々に信頼できる情報を与えて教育する方が、すべてのトイレに警察官とカメラを配置するより簡単でしょう」
「
独裁の場合は、誰にも相談をせずに決断し、速く行動することができる。しかし、間違った判断をした場合はメディアを使って問題を隠し、誤った政策に固執するものです。これに対し、民主主義体制では政府が誤りを認めることがより容易になる。報道の自由と市民の圧力があるからです」
この言葉に私も強く同意する。
監視社会化の最大の問題は、独裁を強め、政治的な発言が抑圧され、政治の誤りが正せなくなることである。
コロナ状況の下で、政府の誤りを阻止した検察庁法案の採決阻止の取り組みは、日本における民主政治の新たなページを開き、市民の自信につながった。監視を強めることはコロナ感染対策としても正しい方向性と言えない。
スーパーシティ法案に対して盛り上がった反対世論にもかかわらず、法案は成立してしまった。しかし、これで問題は終わったわけではない。問題は、実際にスーパーシティの計画が自治体の段階で現実化していくかどうかである。アイデア公募に応募した自治体は54にも上り、内閣府の資料によれば下記のとおりとなっている。
5月27日の本会議における反対討論で、
立憲共同会派・国民民主党の森ゆうこ氏は「最先端技術を活用して快適な生活を送ることに誰も異論はないが、
代わりに自由とプライバシーを差し出すことはできない」と反対討論を行った。
日本共産党の大門実紀史議員は反対討論で、個人情報をまるごと管理してサービスを提供する社会は、一方で監視社会という側面を持つために日本の未来社会のあり方を問う大きな問題だと指摘し、最先端技術に対して個人情報を保護する仕組みが確立されていないのに、個人データを管理する都市構想などは危険すぎる、プライバシー保護と両立する技術の活用こそ考えるべきだと指摘した。スペイン・バルセロナの街づくりは長い時間をかけて住民と話し合い、最先端技術の活用を交通などに限ったことで反発が起きていないなどと紹介し、
住民合意の確保が担保されない法案に強く反対した。
法案には、参議院の審議経過に基づいて、制度の運用にあたっては、特定の者に利益を与え、国民の疑惑や不信を招くことがないよう公平性と透明性を求める、住民の意見を反映する具体的な手続きを整備すること、情報漏洩防止のためのセキュリティの向上などを求めることなどを内容とする付帯決議がつけられた。
これからの焦点は自治体に移る。法律は制定されたが、その欠陥は多くの国民に共有された。審議の終盤で、国民の関心が高まったので、各地でスーパーシティに応募するという動きが起きた際には市民が機敏に対応できる基盤は作れたのではないか。快適かもしれないが、監視され、自分の考えをもつことや、これを自由に発言することもできないような監視社会を作ってはならない。そのための活動を続けよう。
(本稿の作成に当たっては、PARCの内田聖子さんが世界6月号に書かれた「自治の極北 スーパーシティ構想と国家戦略特区」を参考にしました。ここに記して感謝の意を表します。)
<文/海渡雄一>