コロナ禍で考え直す学費と奨学金。栗原康が訴える「学生に賃金を」の真意とは

「借りたら返す」を疑う

 そして、借りたものは返せ、というあまりにも当然のこととされすぎてきたことが、たとえば人を死なせたり、事態を深刻化させると続ける。 栗原「そもそも、日本がなんでもかんでも経済、経済でやってきて、大学を無償化してこなかったからこんなことになっているのです。『借りたものは返せ』は交換のロジックの土台だから? 経済のルールをまもるためには、人間が死んでもかまわない? 奨学金問題だけではありません。いま借金苦で死にあえいでいるひとはほんとうにおおいのではないかとおもいます。  このコロナを機に、経済よりも『無償』の生のほうが、だんぜんだいじだということを確認しましょう。そのための第一歩です。あらゆる債務を帳消しにしよう。猶予じゃないよ、免除だよ。贈与につぐ贈与、そしてさらなる贈与です。いまこそ人間が見返りなしにたすけあえるということを示しましょう。たがいに条件なんてつけなくても、いくらでもともに生きていけるということを示しましょう。ストライクデット! 借りたものは返せない」  繰り返される高等教育の無償化について、ではそもそも論になるが、なぜ必要なのかという問いには、「欲しくないか」という要求、欲望の肯定がまずもってあるだろうと語る栗原さん。 栗原「なぜというよりも、ほしくないですかということです。すくなくとも4年間、タダで好きなことを好きなだけまなぶことができる、無条件で生活費が保証される、その機会があらゆる人びとにあたえられる。そんな大学がほしくないですかと。  もちろん、これは高等教育までふくめて、教育の機会均等をはかろうということでもあります。貧富の格差にかかわらず、だれでも大学にいけるようにしなくてはならない。そうでなければ不平等だし、その進学格差によってさらなる不平等がうまれてしまうと。  しかし、さらにだいじなのはこの「無償」というのはタダということばかりでなく、見返りをもとめられない、条件がないということです。とくに日本では、国がカネをだすとしたらそれは経済の役にたつからでしょう。でもそれだと、いま必要とみなされている仕事のことばかりをまなぶことになってしまいます。  『無償』というのは、ほんとうに無用でもいいのです。こんな言語をまなんでも役にたたない、この小説を読みこなしても役にたたない、数学を専門的にやりすぎて役にたたない、それでもと。もちろん、なかには実用的なことをやる学生もいるでしょう。それでもいいのです。まわりのことなどどうでもいい。ただおもしろそうだとおもってやってみて、気づいたらのめりこんでいる。各人各様にいくらムチャクチャやってもいい。  きっと、そういう知性のなかから、いまは軽視されているけれども、数十年後に必要だとおもわれるようななにかが生れてくるのでしょう。しかしくりかえしになりますが、「無償」というのは、そんな将来すら気にする必要はないということです。考えたとたんに、そのひとの思考がいま有用なものに縛られてしまいます。大学無償化とは、条件なき大学をつくることです。無数の知性を爆発させることです」

「学生に賃金を!すべての失業者に学籍を!」

 「条件なき大学」という夢。コロナの時代だからこそ、「無償」とその先にあるものを考えることが必要というわけだ。 栗原「いま、こうした大学をつくることは、とりわけ重要なことだとおもいます。これまで日本では経済が命だと考えられてきました。交換の論理でうごくのがあたりまえ。これだけカネをだすのだから、これだけのことをしてもらう。はたらけ、役にたて、きっちり借りを返せと。はたらかざるもの食うべからず。はたらけなくなると負のレッテルがはられ、生活保護すらとるのをためらわせる。そんな圧力がかかります。  大学もおなじです。高い学費をとってきたのは、これだけカネをかけたのだから、いい就職先をみつけなければいけないとおもわせるためです。奨学金という名の借金をせおわせ、返せなければひとでなしだと圧力をかけて、どんなブラックな仕事でも黙々とやらせる。今年から「大学無償化」をやるといいつつ、実際にはほんのひとにぎりの低所得者に限定したのは、その学生に負のレッテルをはりつけて、おまえら貧乏人はみんなに迷惑をかけたのだから、はたらいて借りを返せとおもわせるためです。  わたしたちがいま目にしているのは、そうした発想自体がこのコロナ禍で破綻をきたしているということです。これだけみんなが生活に困窮しているのに、たった10万円の現金給付をするだけで、政府はあわてふためきためらっていました。なぜこんなにケチなのか。きっとはたらいてもいないのにカネをだすとシメシがつかない、経済が破綻してしまうとでもおもったのでしょう。おそらく大学ひとつでも経済と切り離して考えることができていれば、こんなお粗末なことにはならなかったのだとおもいます。  わたしが大学無償化についてはなすとき、いつも矢部史郎さんの『学生に賃金を』という文章を念頭においています。これは学生にはたらけといっているわけではありません。会社ではたらかなければカネがでない、それがあたりまえだという思考そのものをぶち壊せということです。経済なんて関係ない。学生はただ胸をはってカネをもらえばいい。条件なき大学とは、経済に飼いならされてきたわたしたちにとって、『無償』の生をいきる訓練の場だといえるでしょう。なんどでもいいたい。『学生に賃金を! 学費も生活費も公費負担で! すべての失業者に学籍を!』」 奨学金なんかこわくない! 『学生に賃金を』完全版 <取材・文/福田慶太>
フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。
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