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メーラーという言葉は、若い人には、そろそろ通じなくなってきているのではないか。メーラーは、パソコンにインストールして使う、メールを送受信するためのソフトだ。メールソフト、電子メールクライアントとも呼ばれる。
メール自体、コミュニケーションの手段として、以前よりも後退している。スマートフォンで使うメッセージソフトやSNSが、コミュニケーションの中心になっている。そして、メール自体も、Gmail などWebにデータを置いて利用する形態が一般的になっている。
ローカルにメールを全てダウンロードして、記憶領域を圧迫するなど愚の骨頂。古くから使っていた人でも、そう考えているのではないか。
昔はパソコンにインストールするソフトの中でも、メーラーは優先順位の高いものだった。一番多かったのは『
Outlook Express』だろうか。それ以外にも、『
Eudora』『
Becky! Internet Mail』『
EdMax』などを見かけた。少し変わったところでは『
PostPet』もあった。今、こうしたメーラーを使っている人はだいぶ減っただろう。
『
Thunderbird』というソフトは、こうしたメーラーにカテゴライズされる。私は、この『Thunderbird』を愛用している。そして
振り回されている。
気まぐれな恋人に翻弄される健気な少女――。『
Thunderbird』のユーザーは、そうした立場だ。あるいは、マゾヒズム的快楽に興じるディレッタントといったところか。このソフトは、山の天気のように気まぐれに拡張機能の仕様が変わる。
なぜ、そんなことになるのか。それは『
Firefox』という、巨大で気難しいWebブラウザの兄がいるからだ。『
Firefox』と『
Thunderbird』は、兄弟のようなものだ。そして、彼らが所属する
Mozilla 一家のお家事情は、古い貴族のような様相を呈している。
インターネット界隈の大きな一画である Mozilla 家の話を、『Thunderbird』を中心に少し語ろうと思う。
『Thunderbird』は2004年に誕生した。生まれた時の名前は違う。彼の名前は『
Minotaur』と呼ばれていた。ギリシャ神話に出てくる、雄牛の頭を持つ人間の怪獣の名だ。『Thunderbird』は、Mozilla Foundation によって開発されて Mozilla ファミリーの1人となった。
兄の『Firefox』は、インターネットの中心で産声を上げた。1998年、
Netscape Communicator のソースコードがオープンソース化されて
mozilla.org が立ち上げられた。『Firefox』は、少し前の覇権ブラウザの血を引き継いだソフトウェアだ。
『Firefox』の初期の名称は『
Phoenix』、エジプト神話の不死鳥の名である。『Internet Explorer』という新興貴族から領地奪還を目指す存在。このソフトは、2003年に『
Firebird』になり、
2004年に『Firefox』に改名された。そして、その年の11月にバージョンが1.0になった。
『Firefox』と『Thunderbird』は共通点が多い。画面を描画するレンダリングエンジンには『
Gecko』(トッケイヤモリ)が用いられている。『Thunderbird』はメールクライアントだが、Webページを表示することも可能だ。それは、『Firefox』と同じコードが、多く用いられているためである。
誕生時は、Webブラウザとメーラーというインターネットの大きな領土を、2人で共同統治する意気込みがあった。当時は、Webブラウザーとともに、メーラーが多くの人に利用されていたからだ。
しかし、現在の状況を私たちは知っている。メールを送受信するソフトは、
完全に斜陽のジャンルになった。そのため『Thunderbird』は、Mozilla ファミリーのお荷物になってしまった。まるで財産を受け取れない貴族の次男のようになり、一家の中で、扱いの困る存在になった。そして切り離しが模索され始める。
2015年の段階で、Mozilla Foundation の理事長が、「
リソースを『Firefox』に集中させるために、『Thunderbird』を Mozilla から分離させたい」という趣旨の発言をした(参照:
Google グループ)。
そして2020年の1月末に、Mozilla Foundation は子会社 MZLA Technologies Corporation を作って、『Thunderbird』を『Firefox』から完全に切り離した(参照:
The Thunderbird Blog)。
兄に財産(リソース)を集中させて、弟には別の事業を始めさせるようなものである。Mozilla Foundation という家に生まれた『Thunderbird』と『Firefox』は、まるで貴族の兄弟を見るような人生を歩んでいる。