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「明日は我が身」とはよく言ったものだ。ロンドンの街角からたった1週間で人が消えた。
今年1月に中国武漢市から発生した新型コロナウイルス(COVID-19)。それは当初筆者が住む英国ロンドンからはとても遠い事のように思えた。
2月に入りダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に入港した時から、日本でも新型コロナウイルスの感染者が日々増え始めたのを覚えている。首都圏に居る家族、友人らに連絡を取り安否を確認し始めたのもこのくらいだ。日本では全国一斉休校が要請され、スーパーマーケットからマスク、トイレットペーパー、消毒液が消えた。
3月に入ると英政府は中国、韓国、イラン、北イタリア、そして日本を含めた地域からの入国者に対し少しでも症状がある場合に自宅隔離を要請し始めた。この段階ではまだ新型コロナウイルスのホットスポットは東アジアという認識が強かった。
3月6日にシンガポール人留学生がロンドンの中心街オックスフォード・ストリートで数人の若者により暴行を受け、コロナ差別と呼ばれる東アジア人差別が顕在化するようになった。
筆者の所属する大学でも中国人留学生に対する差別の事例があり、大学から注意喚起の連絡があった。筆者自身も通学途中キングス・クロス駅前を自転車で通過しているときに若者グループに「コロナ!」と叫ばれ不愉快な思いをしたものだ。
ちなみに、このような人種差別主義者は新型コロナ関係なく、常に場所を問わず存在する。新型コロナの一連で彼らの言動が激化しているだけだ。敏感になるだけ無駄である。
実際、蓋を開けてみると、イギリスでの感染者は北イタリア帰りの富裕層(この時期はスキー休暇などで北イタリアに行く人が多い)で、富裕層の集まるロンドンの西側に感染者が多く点在していた。この時点で国内の感染者数は既に400人を超えていたが、街中は人で溢れかえっていた。
3月12日に英国政府から発表された戦略は「遅延対策」というもので、ウイルス自体を封じ込めることは不可能なので感染のピークを遅らせ集団免疫の獲得を目指すと宣言した。それは無料のNHS(国民保健サービス)が圧迫されるのを危惧した対策だった。手洗い20秒、大規模イベント等の中止、症状がある人・高齢者・基礎疾患のある人は外出を控えるように、と御達しがあった。
とはいえ、20代・30代の若者を中心に街は溢れかえり、その週の土日はロンドン中心部・ソーホーという繁華街のクラブやパーティーに向かう人で地下鉄は混んでいた。土曜日は筆者も友人とロンドン屈指のサブカル街、カムデン・タウンでモヒカンのパンクスを横目に食べ歩きを楽しんでいた。
この「遅延対策」は賛否両論を呼び、英国国内の200人以上の科学者が英国政府に速やかに戦略を変更するようにと嘆願書を送った。集団免疫の獲得には国内の60%以上が感染する必要があり、その間でたくさんの命が失われるだろうとのことだった。
この頃にはヨーロッパ諸国は国民の行動規制を呼びかける戦略を開始しており、筆者のヨーロッパ出身の友人たちは英国にいるよりも自国に帰った方が得策だろうと文字通り飛ぶように帰っていった。中にはこの混乱の中、ドイツへのフライトが何回もキャンセルになり不安にかられつつ、泣きながら別れの電話をしてきた友人もいる。
また、いち早くイランに帰国した友人は新型コロナ陽性が発覚したらしく、「これは酷いインフルエンザみたいなものよ」と随時彼女の体調を報告してくれた。ちなみに彼女は既に回復し、この経験のおかげで禁煙に成功したとのこと。