――土屋さんご自身も労働争議を経験されていたとのことでした。
土屋:僕が映像製作の仕事を始めたのは、90年代半ばに新宿の都庁の下でダンボールを敷いて野宿をしている人たちを見たことがきっかけでした。大学卒業後、京都から出て来た時に初めてその光景を見て、日本は豊かな社会だと習って来たけどおかしいぞ、と。
いわゆる「ホームレス」の生活支援をしている人、ダンボールの家に絵を描いている人、おじさんたちのことを撮影している人など、いろんな人がいましたが、おじさんたちのことを、彼らの目線で撮っている映像作品に惹かれて真似したくなったんですね。
当時は就職氷河期ということもあり、大学卒業後はフリーターをしていましたが、やっとやりたいことが見つかった気がしました。そうして映像を撮り始めて、29歳で映像制作会社に入って温泉宿の宣伝動画などを作っていました。
そして2年が経過したある日、その会社で解雇されそうになったんです。
――どのような事情で解雇されそうになったのでしょうか。
土屋:会社の業績が落ちてきたので、制作部門は全員フリーランスになってくださいと言われました。会社はつぶせない、営業部門は残して仕事は平等に回すからとのことでした。
土屋トカチ監督
その会社で解雇されそうになって初めて労働組合を知りました。こんなに自分たちの権利を守る仕組みがあるなんて……という感じでしたね。私は法学部出身だったので労働法は知っていましたが、その時になって初めて、何も身になってないということがわかりました。
だとしたら、まったく法律を学ぶ機会がなかった人はそのまま社会人をやっているのではないかと。その悔しさが残っていて、知識を伝える意味でも、いつか労働者を守る法律や制度を紹介できるような映画を作りたいと考えていました。
――その時はどのようなことを考えていましたか。
土屋:労働組合のことを知らないと、良からぬことを考えるんですね。解雇されそうになっているので、追い詰められると「社長の家に火を点けよう」「社長の息子を誘拐してしまおう」というようなことまで頭をよぎってしまう。
そんなことをしたら自分の人生がアウトになるだけで何にもならないのですが、怒りのやり場がなくてそういう思考になってしまうんです。
――正当な権利に訴えるのではなく復讐に出てしまうと。
土屋:そうです。暴発する犯罪は、そんな感じで発生するんじゃないかとも思っています。 自分の状況を改善できる材料に気が付いてないこともあって、怒りのやり場がなくなってしまうんですね。
労働組合の人たちからアドバイスを受けた時、こんなに正々堂々と会社にものが言えるんだと逆にショックでした。
結局、半年ぐらいで金銭和解できて、その解決金でカメラを買って、普通車免許を取って独立しました。その元手なしで丸裸でフリーになっていたら相当苦しかったのではないかと思います。そこから、フリーランスの映像製作者として活動し始めました。
――第1作目の長編も労働問題がテーマでしたね。
土屋:『フツーの仕事がしたい』(08)という映画です。そちらの相手方の会社は『アリ地獄天国』とは異なり、もっと目に見えて暴力的でした。組合に入ったら「俺は暴力団とつながりある」と吹聴する輩が登場するような会社でしたね。
主人公の皆倉信和さんに会ったのは2006年の4月でした。「30万円渡すから労働組合を辞めろ」と言われて、「辞めない」と言ったら、次の日に皆倉さんのお母様が亡くなられて、葬式にまで会社関係者と名乗る輩たちが来て暴れて、その場をぐちゃぐちゃにしてしまったんです。撮影中の私も殴られました。
『アリ地獄天国』公開情報
4月3日(金)まで 大阪シアターセブン http://www.theater-seven.com/
4月4日(土)~4月24日(金) 横浜シネマリン https://cinemarine.co.jp/