『戦争は女の顔をしていない』、コミックと原作の齟齬を見つめる

「これは出版しちゃいけないよ」 女たち自身も口を閉ざしていた

 独ソ戦時下、100万人以上の女性がソ連軍には参加していた。『戦争は女の顔をしていない』という本はベラルーシの作家、ジャーナリストであるスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチによって書かれた、500人以上のソ連で従軍した女性たちへのインタビュー集である。彼女たちは看護婦として、軍医として、洗濯部隊として、あるいは狙撃手として、パイロットとして、歩兵として、通信兵として、パラシュート降下部隊として、独ソ戦に参加した。ソ連兵の戦死者たち1470万人の何パーセントかは彼女たちであり、またドイツ兵の戦死者たち390万人の何パーセントかは彼女たちが殺したのだろう。  戦争が終わった後、彼女たちについて語るものはほとんどいなかった。戦争に関わった男たちだけでなく、彼女の近親者たち、そして彼女たち自身もまた口をつぐんでいた。それはあまりに悲惨な戦争の、あまりに悲惨な部分だった、もしくはそう思われていた。  作家がこの本を書きあげた後、出版にこぎつけるまでに二年以上の時間がかかり、出版されたのも部分的なものだった。 「これは出版しちゃいけないよ、あんたにだけ話すのさ」、「あそこに行ってたことが残念だよ……ああいうことを見てしまったことが……戦争が終わって結婚した。夫の陰に隠れたのよ」、「どこでも、口にしちゃいけないよ、これはあんただけにこっそり言うんだからね」、「娘はあたしのことをとても好きなんです、娘にとってあたしは英雄なんです、あの子があなたの本を読んだら、とてもがっかりするでしょう。きたならしく、シラミだらけで、果てしなく血が流された。こういうことはすべて真実です。否定しません。でも、こういうことを思い出すことによって崇高な感情を生み出すことができるのでしょうか?英雄的な行為が行えるような?」 (三浦みどり訳『戦争は女の顔をしていない』より、岩波書店、2016年)  このような言葉が冒頭で散見される。インタビューに答える女性たちは決して積極的に語るわけではない。それは決して語ってはいけないこと、語りたくはないことを語るという態度で語られていく。スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチは当時まだ無名の若い女性記者であり、彼女が従軍した女性たちにたどりつき、彼女たちの話を聞き出すまでにどれだけの苦労をしたのかは知れない。名前をたどり、旧姓をたどり、職場をたどり、同僚をたどり、スヴェトラーナは彼女たちを見つけ出し、慎重に話を集めていった。  こういった作家の丹念で辛抱強い態度、そして語られた言葉の消極性について少なくともまだコミック版では書かれていない。

コミックが描く「女の戦争」

 「光学にはレンズの『強度』という概念がある――とらえた画像をより確実に見せるレンズの能力のことだ。そして女性の戦争についての記憶というのは、その気持ちの強さ、痛みの強さにおいてもっとも『強度』が高い。『女が語る戦争』は『男の』それよりずっと恐ろしいと言える。男たちは歴史の陰に、事実の陰に、身を隠す。戦争で彼らの関心を惹くのは、行為であり、思想や様々な利害の対立だが、女たちは気持ちに支えられて立ち上がる。女たちは男たちには見えないものを見出す力がある」 (同上)  小梅けいとがコミックのなかで描いているのはまさしくこの「強度」の高い、「女が語る戦争」なのではないかと思う。従軍した女性たちが積極的に語る戦争の逸話たちだ。このコミックは「戦争の女の顔の部分」を描いている。  それでもこの作品のタイトルは『戦争は女の顔をしていない』であり、そうでなければならない。この先、どのようにスヴェトラーナの態度、語り手の態度が描かれていくのかはわからないが、このコミックを手に取る方はぜひまず原作の冒頭30ページだけでも読んでみてほしいと思う。歴史は行為や、思想や様々な利害の対立のなかでしか戦争を残さない。これからもそうだろう。これから起こるどのような戦争も女の顔を残すことはおそらくないだろう。洗練され、数字だけが残った3000万人の死者たちにもう一度顔を見つけ出そうとすること、浄化されていく歴史に対する反抗の態度、それこそが「戦争は女の顔をしていない」というタイトルであり、スヴェトラーナのジャーナリズムなのではないかと思う。コミックが今後どのように原作を掘り下げていくのか、期待したい。 【参考文献】 スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ著、三浦みどり訳『戦争は女の顔をしていない』(岩波書店、2016年) スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ原作、小梅けいと漫画『戦争は女の顔をしていない 1』(KADOKAWA、2020年) ウィリアム・H・マクニール著、増田義郎・佐々木昭夫訳『世界史 上・下』(中央公論社、2008年) 大木毅著『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波書店、2019年) <文/市川太郎>
1989年生。立命館大学文学部卒業。劇作家、演出家。主な作品に「いつか、どこか、誰か」(GEKKEN ALT-ART SELECTION選出作)、戯曲「偽造/夏目漱石」(BeSeTo演劇祭+参加作品)、「もう、これからは何も」(アトリエ劇研演劇祭参加作品)、「愛だけが深く降りていくところ」(「自営と共在」展参加作品)など。
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