『戦争は女の顔をしていない』、コミックと原作の齟齬を見つめる

隠されてきた「戦争の女の顔の部分」

 『戦争は女の顔をしていない』、コミックに目を通した時、このタイトルは謎だった。タイトルの意味を図りかねたからではなく、女の顔を雄弁に描いているこのコミックと「戦争は女の顔をしていない」という言葉を結びつけることができなかったからだった。タイトルの切実さは、原作に目を通して初めて知った。  歴史は洗練されるものだ。何もかも記録しておくこと、記憶しておくことはできない。常に忘れ去られるものがあり、歴史として覚えておかれるものはむしろ稀だ。本棚に刺さった中公文庫の『世界史』という本は古代史から現代までを描いているが、上下巻を合わせても 1000 ページに満たない。それは当たり前のことで、ひとりの人間が蓄えられる歴史への知識にはいつも限界がある。歴史は膨張しつづけ、古いものを取捨選択し、更新しなければ、新しいものの入る場所がなくなってしまう。そのようにソフィストケートされてきた歴史のなかの「戦争」というものは、確かに女の顔をしていない。というのは正確ではないのかもしれない。戦争の女の顔は、慎重に丁寧にあるいは無自覚に、隠されてきた。

歴史の中に消えていく死者たちの顔

 歴史のなかでの独ソ戦について書いておく。  独ソ戦は第二次世界大戦中のドイツ、ソヴィエト連邦間の戦争である。ソ連側からは大祖国戦争、ドイツ側からは東部戦線(ナチスの行動を主体に世界史を学ぶことの多い我々はこの東部戦線という呼称のほうがぴんとくるかもしれない)と呼ばれていた。1941年6月22日、宣戦布告なしにソ連領をナチス・ドイツが攻撃しはじめたことによってこの戦争は始まる。短期決戦で勝利を収めようとしていたドイツは冬の準備が足りず、やがて食糧などの物資が不足し、苦戦を強いられていく。結果的に、この戦争はヒトラーが自殺し、ドイツが無条件降伏する 1945 年 5 月 8 日までつづいた。ソ連は勝利し、アメリカやイギリス、フランスとドイツを分割占領した。  この戦争の悲惨さを示すには数字を挙げるだけで足りるだろう。民間人、兵士を合わせてソ連側から 2700 万人、ドイツ側から 1000 万人近くの犠牲者が出たと言われている。これは世界史上でも類を見ない数だった(太平洋戦争での日本の死者は 310 万人と言われている)。  我々が世界史のなかで学ぶのはこれに複数の国との情勢、戦線の変化、戦闘の経過を多少加えた程度のものだと思う。少なくとも自分の知識では、そうだ。死者たちにも顔がある。独ソ戦で死んだ 3000 万人以上の人間のひとりひとりに個別の顔がある。だがそれらひとつひとつの顔は統計としての死者数 3000 万という数字に飲み込まれて歴史の中に消えていく。悲惨な、残虐な、過酷な、勇敢な、可哀そうな、そんな抽象的な形容だけが彼らを漠然と表現する。
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「これは出版しちゃいけないよ」 女たち自身も口を閉ざしていた
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