Twitter社のチェックはどうなっているのだろうか
もちろん、何らかの言論活動を行う上で、悪意ある人物から何らかの嫌がらせを受けることは、リスクとして引き受けるべきかもしれない。問題は、その
嫌がらせをあっさりと実行してしまうTwitter社の対応だ。上述の通りTwitterにおいては、
著作権侵害で凍結された場合、それを覆すのには莫大なコストがかかる。確かに著作権侵害を気軽に出来なくすることは重要だ。しかしそうであるならば、
実在の人物の名を借りた明らかな偽名、明らかに存在しない会社からの虚偽申請に対しては、厳しい審査により事前にそれを跳ね付けることを徹底するべきではないのか。このような適当な審査が続く限り、いつでもだれでも、気に入らない人物を凍結させることは可能だろう。果たしてそれが、あるべきSNSの未来だろうか。
DMCAではないが、以前筆者は別の案件でTwitter社からロックされたことがある。それは差別問題だ。筆者が直接的に発言したわけではなく、
筆者がレイシストの差別発言を引用し批判したツイートの、差別発言の部分が、違反とされたのだ。そのロックはすぐ解除できたからよいものの、一方で
いくら差別発言を繰り返しても一向に凍結されないアカウントがあることも周知の事実だ。
いまや、Twitterは単なる私企業のSNSサービスではなく、政治・経済・文化、様々な領域にわたって、市民生活の重要な一部となっている。いわば一種の公共財なのであり、その運営に対しては、高い公共性が求められるはずだ。アカウントの凍結という重大事について、不公正かつ悪意がまかり通るような対応は、けして許されてはならないだろう。
悪意あるDMCAの虚偽申請に対して、その被害者は個人情報をすべて晒すか泣き寝入りするしかない――このようなカフカ的理不尽に対して、我々はどう対処すべきか。たとえば今回、筆者は図らずも当事者になってしまったわけだが、(アカウントの不当な凍結という)
権利の侵害に対する抵抗は我々の義務だとするイェーリングの言葉を頭の中で繰り返し反芻している。利益法学によれば法はlebendigなもの(生き生きとしたもの)であり、権利のための闘争が必要なのである。正規の方法ではなくとも、いくつかの法的措置が選択肢として存在する。他の被害者との連携も考えられるだろう。むろん、専門家との検討が必要だろうが。
いずれにせよ、DMCA悪用の問題は、もはや「明日は我が身」の世界である。この問題について大きな世論が巻き起こり、Twitter社の運用が改善され、権利の回復がなされていくことを、当事者の一人としては願っている。
<文/北守(藤崎剛人)>