「科学的」知識を都合よく吹聴する経営者は実力がないといえる理由

科学や学問の知識を都合よく使い回す経営者の手腕は疑うべきである

科学的・心理学的という言葉を多用するインフルエンサーの不都合な真実<4>~経営者編~  こんにちは。微表情研究家の清水建二です。  今回の経営者編は、大企業・中小企業の経営者や社団・財団法人の理事など、自身の言動が部下や会社関係者、会員、その他周囲全般に影響を及ぼし得る方々を広く含んでいます。

「科学的知見」を誤用する経営者と活かす経営者の違い

 経営者の方々が科学的という言葉を使うのを多々耳にします。ある科学理論が自身の経営手法や生き方に適っていることがわかれば、嬉しくなり、「自分の方法は科学的にも正しい」と主張したくなる気持ちは十分に共感できます。  しかし、経営者自身の経験則と科学知見とが相反するとき、どんな態度を示すでしょうか。数十年の経験則の方が正しく、それを支持しない科学知見は問答無用で捨て去る、見なかったことにする。もしこうした態度をとるならば、それは科学知見の恣意的な利用となります。  こうした経営者の方々は科学を権威付けに利用している、あるいはバイアスのかかった目で科学を捉えていると考えられます。一方、自身の経験則と反する科学知見に出会ったとき、自身の経験則を放棄あるいは修正する、科学知見の方が間違っていることを論理的に指摘する、あるいは、経験則と科学知見との統合を試みる、そんな態度が見られたら、科学を適切に扱っていることがわかります。  長年の経験則に基づく成功法則を持つ経営者の方々は、科学的知見がどうあれ、堂々と自身の見解や経験則を語られるのがよいのではないでしょうか。  経験則の方が正しく、現時点での科学が経験則の正しさを検証出来ていないだけかも知れません。科学知見を経営に利用したい、あるいは自身の経験則を検証・補強したいと考える経営者の方々は、科学的思考や科学知見に詳しく、ビジネスに応用できる能力を持つ参謀やコンサルタントを雇い、科学を適切に利用されるのがよろしいかと思います。

経営者と宗教伝道者は似ている?

 ちなみに、科学知見を誤用する経営者の方々の言説と似たようなことが宗教団体の言説の中にも見出されます。  宗教の場合は、教祖自身というよりも信者の方々に見られ、「うちの信仰は科学的にも証明されている」とか「私たちの宗教が説く真理に科学が追いついてきた。いずれ全ての正しさが証明される日が来るだろう」と言った言説を聞きます。  そして、信仰に否定的な科学理論があれば、それを単に否定するか、科学が不完全ゆえに信仰の神髄を解明できないのだと指摘します。宗教は、絶対帰依の世界だと思います。したがいまして、宗教の目指す絶対という概念と水と油の関係である科学の概念を混ぜず、教祖や信仰そのものを信じ、布教されるのがよろしいかと思います。
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自著で他人の言葉を堂々とパクる経営者
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