「危機」を利用して自身の権力拡大を迫るヒーローたち。「現代社会」を風刺する『ザ・ボーイズ』

 近年の映画界の傾向に従って、2019年もまた、様々なアメコミ・ヒーロー映画が公開された年であった。マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)シリーズでは、集大成ともいえる作品『アベンジャーズ・エンドゲーム』など3作品が公開され、いずれも大きなヒットとなった。一方、マーベルに比べて、映画では押され気味のDCだが、『アクアマン』、『ジョーカー』などの諸作品が話題を呼んだ。  Netflix、Amazonプライムといった海外のドラマを放送する配信サイトでも、すでにアメコミ・ヒーロー物は一大ジャンルだ。いわゆる「Arrowバース」物など、国内で鑑賞できるヒーロー・ドラマは数十本にも及ぶ。  こうした百花繚乱状態のアメコミ・ヒーローシリーズの中で、異彩を放っているのが、Amazonプライムで視聴できるドラマ『ザ・ボーイズ』である。ガース・エニスのコミックスが原作のこのドラマは、現在シーズン1が完結しており、シーズン2は近々配信される予定である。

アンチ・ヒーローな物語

 『ザ・ボーイズ』の世界には、様々な特殊能力を持った多くのスーパーヒーローが存在する。ヒーローたちは企業と契約するなどして活動しているのだが、その中でもヴォート社は200名を超えるヒーローを抱え、「セブン」と呼ばれる7人のエリート・ヒーローを中心に莫大な収益をあげていた。  ただし、ヴォート社のヒーローたちはメディアで見せる清廉潔白なキャラクターとは全く違う。不道徳であり、私利私欲を追及し、力を濫用し、薬物に走るなど、腐敗しきった存在である。しかしその事実は、圧倒的な権力によって隠蔽されている。そうした世界において、彼らヒーローによって被害を受けた者たちの集団「ザ・ボーイズ」が、役に立たない警察や司法、マスメディアに代わって、ヒーローに自ら復讐をはかろうとする。これが、この物語の根幹のあらすじである。  この作品は、それ自体がアメコミ・ヒーロー物のパロディであることは明白である。「セブン」はジャスティス・リーグだし、そのリーダーであるホームランダーは、スーパーマン(キャプテン・アメリカも入っているか)。クイーン・メイヴはワンダーウーマン。Aトレインはフラッシュ。他のヒーローも、元ネタを彷彿とさせるものが多い。そうしたキャラクターたちが実は悪いことをしていたというアンチ・ヒーローの構造は、これだけヒーロー物が溢れているこのご時世だからこそ注目され、その過激な描写も手伝って、話題となっている。

権力の風刺

 DCやマーベルといったアメコミ・ヒーロー物の風刺作品となっている『ザ・ボーイズ』だが、それらの映画やドラマのファンを激怒させるほど、そうした作品をバカにしている印象はない。  個人的なことを語れば、筆者は『インクレディブル・ハルク』(周囲で著しく評判が悪い)以外はすべて見ているMCU作品のファンのだが、『ザ・ボーイズ』あらすじを読んで、何かそうした作品が貶められている気持ちがしてしばらく敬遠していた。  しかしそうした態度はよくないと思い、決意して鑑賞してみたところ、意外にもヒーロー物を冷笑するような作品ではなかったことが分かった。物語の外観としては、確かにアメコミ・ヒーロー物への風刺となっているのだが、そこで真に風刺されているのは、アメコミ的な「正義」というよりもむしろ、権力であり、アメリカ国家および社会そのものなのだ。  『ザ・ボーイズ』において、ヒーローのパワーは、政治学的な意味での権力と同一のものとしてみなされている。多数のヒーローを抱えるヴォートは、ヒーローのパワーをもとに、国家においてより強い権限を持とうとする。当面の目標は軍との連携であるが、ヒーローのパワーの自由な行使を恐れる政治家の抵抗にもあい、議会を思い通りに動かすことができない。そこで彼らが利用するのは、「危機」だ。ホームランダーは、あるハイジャック事件に対する対応に失敗し、それを隠蔽したあと、メディアに向かって以下のような内容の演説を行う。つまり「我々の力が制限されていなかったら、このような惨劇は回避できたのに」と。  このシーンは、国家の危機に際しては、国民の生命を守るために国家に課せられている制限を緩め、権力を集中させなければならない、という、権力者が非常事態に対してより強い権限を求めることへの痛烈な皮肉になっている。日本の総理大臣とその与党は、予想されていた自然災害が起こった当日、宴会を開いていた。その一方で彼らは、災害に迅速に対応するために憲法に緊急事態条項を盛り込めと主張する。彼らの目的は危機への対応ではなく、権力の拡大なのだ。  危機の政治理論を採用するならば、国のあり方を最終的に決める力を持つのは、国家の敵を名指しできる者である。そして軍事力は脅威をつくりだすことによって、自らの必要性を常に証明し続けなければいけない。シーズン1の結末をみると、この作品がこのテーゼをはっきりと意識していることが理解できるだろう。
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ジェンダー問題の「リアル」な描写
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