プランテーション農場での過酷な労働から「敵性外国人」認定まで。ハワイ日本人移民の歴史から日本人が学ぶべきこと

太平洋戦争で「敵性外国人」に指定、強制収用も

モイリリ地区

モイリリ日本人商店の地図(国立歴史民俗博物館展示より)

 こうして次第にハワイで大きな存在感を持つようになっていった日本人・日系人の立場は、1941年の真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争で一変する。 「真珠湾攻撃の当日にハワイでは軍政府が成立し、戒厳令が布告されました。日本人・日系人は『敵性外国人』として厳しい規制をされることになります。軍政府による命令で、住所変更の禁止、カメラや短波放送の受信機、双眼鏡などは放棄させられました。電話で日本語を使用することも禁止されました」  真珠湾攻撃の3時間後にはハワイ諸島内で「敵性外国人」の拘束が始まり、収容所に運ばれることになる。 「日本人・日系人の人口はハワイの3割以上を占めていて、とても全員収容することはできません。まずは地域のリーダー、教職者、知識人などが収容されました」  その一方で、アメリカ合衆国に忠誠の姿勢をとり、戦争に参加する日系人も出現する。 「ハワイから動員されて戦死した兵士の63%が日系人だったといいます。沖縄戦に参加した日系人もいました。沖縄にルーツを持つ帰米二世の比嘉太郎は、ガマで自決しようとする沖縄の民間人に対して投降するよう沖縄の言葉で呼びかけました。12あった場所のうち、1つ以外は自決を免れたということです」  日本人移民とその子孫たちが乗り越えてきたこうした苦難の歴史。同じことを今の日本を訪れる外国人に繰り返すのか? 今を生きる日本人も学ぶべきことは決して少なくないはずだ。

ハワイの日系人の歴史をたどる、オススメの場所

ハワイコーヒー 最後に、ハワイに行ったときにオススメの日系人関連スポットについて、原山准教授に聞いてみた。 「オアフ島なら、ハワイ最大の博物館であるビショップミュージアム、日本人移民の歴史を伝えるハワイ日本文化センター(JCCH)、プランテーションで働いていた移民たちの生活を再現したハワイプランテーションビレッジ。あとは日本人街のあったモイリリあたりを歩いてみるとか。また、各地にお寺や神社など、日本人とゆかりのある宗教施設が多く存在しています。  ハワイ島のコナなら、日本人移民が経営していたコーヒー園を、農家ごと展示施設にしているコナ・コーヒー・リビング・ヒストリー・ファーム。そのほか、UCCやドトールの農園もありますね。ヒロの街は日本人移民が多く、シンマチなどの昔の地名や日本人の名前がついたビルが残っています。  それから、スーパーマーケットに行くと『アロハ醤油』など、日本人・日系人の歴史があったからこそ売られている商品をいろいろ発見することができます。ハワイのローカルフードと呼ばれるマグロのポケ(漬けマグロ)サイミン(細麺の汁そば)なども、日本人移民が持ち込んだ食文化の影響を強く受けている食べ物です」
入口

国立歴史民俗博物館 企画展示「ハワイ:日本人移民の150年と憧れの島のなりたち」の展示は12月26日まで

 そんなハワイ日系移民の歴史や文化に関する企画展示「ハワイ:日本人移民の150年と憧れの島のなりたち」が、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で開催されている(12月26日までなので、お早めに!)。なお、写真やデータなど充実した図録(税別1800円)は、国立歴史民俗博物館ミュージアムショップなどで企画展示終了後も購入できる。 <取材・文/北村土龍>
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