また、楽天が忘れ去られた存在となった背景には、「
“自分”を突き詰められなかった」こともあるのではないかと、大木監督は語る。楽天との比較として、ここで同時代に活躍した画家・
藤田嗣治の名が挙げられた。当初、大木監督は後半に藤田を登場させ、その生き方を楽天と対比するような構成を考えていたという。
藤田が楽天と共通するのは、戦時中に当時の政府と結託したポスト(陸軍美術協会理事長)に就任し、「アッツ島玉砕」などの数々の戦争画--いわば「時代と寝た」作品を手がけたという点である。しかし、藤田は終戦後に「戦争協力者」と批判を受けることに嫌気がさしたこともあり、その後フランスに帰化し、日本国籍を抹消。晩年も教会の装飾画を手がけるなど、精力的な活動を続けた。
一方、戦後の楽天は大宮市の自宅にこもる生活を送るようになり、ほとんど隠居状態であった。その頃の楽天については、「朝方に犬を散歩させ、夜についていたガス灯を消して回るおじいさん」と周囲からは認識されていたという。晩年の両者の姿勢は、「社会の情勢に抗うか、否か」という点で明確な対照性を見せる。
こうした情報だけを提示すれば、人間としてのしっかりとした軸が感じられるという意味で、藤田の方に魅力を感じる読者も多いだろう。しかし見方を変えれば、「時代に逆らわなかった」点も楽天の人間らしさであるのかもしれない。「そりゃ、普通だったら時代に似つかわしい作品を描くだろうし、反骨精神を貫ける人は少ない。大きなものに逆らえなかったという点には、むしろ僕としては親近感が湧きました」と尾形氏。大木監督もまた、「“壁を乗り越えられなかった”という点で、楽天は私たちに近いと思います」と少し笑いながら語った。
……と、ここまで、やや暗めな話が続いてしまった。ここで付言すると、『漫画誕生』は決して暗さ、ひいては真面目さ一辺倒の作品ではない。長年寄り添った
妻・いの(篠原ともえ)との愛情深いエピソードや、さまざまな漫画のキャラクターが登場するアニメーションの挿入など、思わず笑みを浮かべたくなってしまう細部にも事欠かない。
(C)漫画誕生製作委員会
また、画面に登場する豊かな自然も特筆に値する。尾形氏も、撮影中の印象に残っているエピソードとして「桜がきれいだった」ことを挙げている。本作はオール埼玉ロケで撮影され、桜は青春期の楽天を象徴するような鮮やかさを見せる。
(大変恐縮だが、もう少しだけお堅い話をすると)一方、尾形氏が演じる老年の楽天の登場シーンは、多くが戦時中の検閲官とのやり取りに重点が置かれており、色彩としては決して明るくはない。それは
橋爪遼さんの演じる青年期との対照性を見せるようで、このコントラストも本作においては特筆すべきかもしれない。「考えてみれば、青春期から楽天が大きく変わったわけではないのに、なぜ楽天に対する評価は大きく変わったのか。そのマジックの根底も探ってほしいと思います」(尾形氏)
かつて楽天が生きた時代と同じように、ふとした契機で変わってしまう社会の中で、私たちはどのように生きていくべきか。…なかなか結論を出すのは難しいが、考えれば考えるほど、『漫画誕生』という映画の内包する世界は深い。
<取材・文/若林良>
1990年生まれ。映画批評/ライター。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員。「DANRO」「週刊現代」「週刊朝日」「ヱクリヲ」「STUDIO VOICE」などに執筆。批評やクリエイターへのインタビューを中心に行うかたわら、東京ドキュメンタリー映画祭の運営にも参画する。