いつのまにか「悪」に加担してしまう恐ろしさ――映画『漫画誕生』に見る日本近代漫画の祖・北沢楽天の姿とは

日本の「漫画の父」と呼べる北沢楽天

(C)漫画誕生製作委員会

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 「漫画の神様」という言葉を聞いて、多くの人が思い浮かべるのは手塚治虫だろう。では、その手塚にも多大な影響を与えた、日本における「漫画の父」と呼べる人物は誰か。この質問に答えられる人は決して多くはないはずだ。  現在公開中の映画『漫画誕生』は日本で最初の職業漫画家であり、「漫画」という言葉を日本に定着させた人物・北沢楽天を描く。楽天は1876年(明治9年)に生まれ、政治風刺漫画や風俗漫画の分野で、明治~昭和期に活躍した。フランスでの個展開催や、日本で初めての漫画スタジオの設立など多くの実績を数え、一時期の収入は当時の総理大臣を超えていたとも呼ばれる。太平洋戦争の終結以前の日本においては、知名度、影響力ともに際立った存在であった。映画では楽天が漫画家という職業を確立させた青年期から、戦後すぐの老年期までが描かれる。  さて、「北沢楽天」という名前を出してみても、「ああ、そういえば!」とひざを打った読者は決して多くはないだろう。「漫画誕生」の主演、つまり楽天自身を演じたイッセー尾形氏は、「(楽天について)オファーがあるまでは知りませんでした」と語る。本作の監督である大木萠氏もまた、その名前を知ったのは監督としてのオファーを受けてからであったという。(ここで「100人に聞きました!北沢楽天を知っているかアンケート」といった、実証的なテータがあればより説得性が増すのだろうが、そうしたものがないので筆者の想像頼りな点はご容赦をいただきたい)  では、なぜ北沢楽天は、生前の知名度と相反するように、現在ではほとんど知られていないのだろうか。  政治風刺漫画という分野が、その題材となった事件・事象が注目される短期間にしか読まれることのない背景にもよるだろうが、それに加え、彼の社会に対するスタンスへの疑問視が強いからかもしれない。楽天は太平洋戦争のさなか、漫画による国策協力として「日本漫画奉公会」の会長を務めていたことに代表されるように、しばしば芸術家の形容で使われる「社会に抗い続けた」側の人間ではなかった。ひたすらに社会が求める風刺を描き続けた、「社会に従い続けた」側の人間であったのだ。  もちろん、それを一絡げに悪いと言うことはできないが、少なくとも偉大な人物として楽天を語るためには、(現代の倫理観からは)これは大きな足枷となることは容易に想像がつくだろう。  しかし、「漫画誕生」は北沢楽天を「偉人」として描く作品ではない。メインキャッチコピーの「私だって、私なりにやってきたんです」という言葉に象徴的に表れるように、あくまで等身大の形で、北沢楽天というひとりの人間を描くことが主眼となる。その詳細については映画を参照願うとして、大木氏はもともと、「偉人伝にしようとは思わなかった。どのような人間であったかに焦点を当てたかった」と語る。

意図せず「悪」に加担するシステム

主演のイッセー尾形さん では、北沢楽天とはどのような人間であったのだろうか。尾形氏にその印象を尋ねると、「先のことをあまり考えず行動する人」という答えが返ってきた。 「私自身にもそうした一面はあるんですけど、楽天は、ただ楽しいから絵を描いていたんだと思います。風刺をしたいというよりも、まず絵を描きたいという欲求があって、この絵がどのような意味を持ちうるかとかはあまり考えない。でも、楽天の絵が予期していなかった意味を持って、しだいに楽天本人の首を絞めていく。そうしたアイロニーはあったでしょうね」  尾形氏の語る「アイロニーの感覚」は、脚本のベースにもあった。本作の脚本を担当した若木康輔氏は、「執筆の根底には、『メフィスト』(1981、イシュトバーン・サボー監督)や『女衒』(1987、今村昌平監督)といった映画がありました」と語る。「メフィスト」はハンガリーの映画で、自分自身の演技を追求する過程で、知らず知らずのうちにナチスのプロパガンダに利用されていく舞台俳優を描き、日本映画の「女衒」は戦前、「貧しい女たちのため、国のため」に東南アジアへの女性の人身売買を行った業者の半生を描く。つまり、決して「悪いこと」を行っているという認識はなかったものの、結果的に「悪」に加担してしまった人物を描くという点で、これらの作品は『漫画誕生』と根底では共鳴し合う。「そして何より、ベストを尽くした上で間違えた男を書きたかった」(※)と若木氏は本作の着想について語った。 ※若木康輔「『漫画誕生』脚本家ノート 負けるときもあるだろう」『シナリオ』2020年1月号、p.99 主演のイッセー尾形さん 「難しいのは、“定義”があるわけですよね」と、尾形氏は楽天の後世からの評価について語る。「表現とは何か、芸術とは何か、いろんなものに“こうあらねば”があって、そこから外れると、主だった組織は仲間に入れてくれないし、そんなもの芸術じゃないとも言われる。でも、定義から外れても成功する可能性はあって、どっちを選べばいいかは簡単にはわからない。さらに言えば、芸術の評価というのは結局絶対的なものではないから、一概にどれが正しくて、どれが間違っているとも言えないんです。どういう道を選んでもリスクがある。そういう意味では、楽天は不運だったとも言えますね」
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北沢楽天と藤田嗣治
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