とはいえ、菅官房長官の上記の説明も根拠の危うい代物と言わざるをえない。菅官房長官は会見中に情報公開・個人情報保護審査会の答申に言及している。会見中では明示されなかったが、それは
平成24年度(行情)答申第336号のことである。
菅官房長官が参照したのは「それを保有する行政機関において、通常の設備、技術等により、その情報内容を一般人の知覚により認識できる形で提示することが可能なものに限られる」という部分だが、これは
2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件に関連した情報公開請求について、海上保安庁のシステム上のログに関しては行政文書には当らないという判断を当該審査会が示したものである。
この答申をそのまま今回のような行政文書のバックアップデータにまで適用してよいかどうかは甚だ疑問であるし、そもそも当該審査会は諮問機関であるからその答申には法的拘束力はない。おそらく
情報公開法や公文書管理法の文言からはどうしても「バックアップデータ≠行政文書という結論を導き出せないからこそ、政府側はこうした答申に依拠して自らの判断の妥当性を説明しようとしたのだろう。
そもそも桜を見る会の招待者名簿等を保存期間1年未満としているのは
内閣府が作製した行政文書管理規則という省庁内部のローカルルールに過ぎない。しかもそのルール自体、情報公開法・公文書管理法の主旨を骨抜きにするような形で運用されている。
つまるところ現政府は、
別事案に関して出された法的拘束力のない答申と、省庁が定めたローカルルールを根拠に、あろうことか憲法に定められた国会の国勢調査権を踏みにじるという民主主義の根幹をぶっ壊す野蛮な所業に手を染めているのだ。
森友問題や
加計学園問題等でもそうであったように、今回の桜を見る会をめぐる問題もまたもや
政府による公文書管理と情報公開の問題に逢着したようである。いったい何度同じことが繰り返されるのだろうか。
ところで、先述した尖閣諸島中国漁船衝突事件は
民主党政権下において起きたものである。事件後、海上保安庁が撮影した衝突時の映像がYouTubeに流出した際、当時下野していた安倍首相は以下のように述べていた。
“ビデオは国家機密として隠すべきものではなく、国民にそして世界にとっくに示すべきものでした。
「外交上の問題」とコメントした有識者?がいましたが、ビデオを出さないとの外交上の約束は存在しないのですから、まったく馬鹿げた指摘です。(中略)
責任が問われるのは海上保安庁ではなく、まったく馬鹿げた判断をした菅総理、あなたです。”
(
安倍晋三メールマガジン2010年11月16日号「『義憤にかられて・・・』尖閣ビデオは国家機密では無いっ!」のwebアーカイブより)
政府に情報公開を求め、時の総理による「馬鹿げた判断」の責任を鋭く問うていた人が、いまやなんという体たらくだろうか。一刻も早く国民に対して情報を開示し、そして自らの責任を見つめていただきたいものである。
〈文・GEISTE)