催涙ガスを放つ軍者の前で、花を持ちながら「Sin Violencia」(暴力なし)と訴えるチリ人
チリのデモは平和だ。「Manifestacion Pacifico」と言われ、歌や音楽、ダンス、を通し国民が自分たちの方法で、今の社会への不満を訴えている。
国民は銃も持っていなければ、催涙ガスも何もない。自分たちを守る盾すらない。
デモでは様々な歌が歌われている。「Chile Despertó」(チリは起きた)と数万人の人と歌ったり、「El Pueblo, El Pueblo, El Pueblo donde estan? El Pueblo estan en la calle pidiendo Dignidad」(国民よ、国民よ、国民はどこにいるの? 国民は、尊厳を求めて、道にでているよ)と歌っている。
医学部生は、重曹入りの水やレモンでデモ参加者を支えたり、アーティストは楽器や歌を使い、自由や変化を求めている。
しかし、ニュースで伝えられている通り、放火や強盗が後をたたないのも事実だ。
デモに参加していると、煙の匂いがする。あたりを見渡すと、ゴミ箱やベンチ、様々なものが燃えているところを見かける。さらには10月28日には、デモ参加者と一部数人が、ビルを二つも燃やしてしまった。
首都サンチアゴのPlaza Italiaの隣にあるSalvador駅周辺でゴミ箱やゴミ、紙を燃やす様子
私は暴力も、強盗にも賛成はしない。そういうことを起こす人は、正しく法によって裁かれる義務もあると思う。賛成はしないが、だからと言って国の暴力にも賛成をしない。
だからこそ、抗議をする側が放火をしたり強盗をすることは、「国が起こす暴力」を正当化してしまう行為であり何十万人もの訴えを台無しにする行為になるので、決して許せないことだ。
こうして、暴力を起こす人がいるから、国もそれに対し「反論」をし、平和なデモ隊に対する暴力、アクティビストの違法逮捕などを、正当化しているのだ。
ただ、その一方で、警察や軍人は卑怯だと思ってしまう。目の前で、声を枯らしながら訴えている国民の問題を肌で感じて生きているはずなのに、一部の暴徒化した人を鎮圧するという理由で、暴力的な弾圧を自分たちの中で正当化し、罪のない国民に銃をつけつけているからだ。
Facebookで香港のデモの写真を見た。その写真には、香港のどこかの壁に
「If the Police kills us, who do we call?」(警察に殺されたら、だれに電話すればいいの?)
と描かれたグラフティが映っていた。
国民を守る政府や警察が起こす暴力に、国民はどう戦えばいいのか。誰に助けを求めればいいのか?その言葉を見たときに、改めて現状の深刻さ、そして恐怖を覚えた。
でも、敵は警察でも、軍人でも無い。
確かに、こうして「軍人や警察は死ね!」と言ってしまうのは簡単だ。「敵」を識別することができると、訴える相手、戦う相手ができるから。
だけど、
実際意思決定をしているのは誰なのか、問題の根本がどこにあるのかを考えると警察や軍人は敵ではない。むしろ、彼らも被害者だ。
警察や軍人だって、命を落としたり怪我をしている人がいる。だけど、
本当に彼らをそこに置いている人は? 痛くもかゆくもないだろう。
「軍人だって、警察だって人間だ」そう考えると、
戦う相手は「人」ではなく「社会」であることを再認識し、広めなければならない。なぜなら、
そうしなければ問題はなくならなければ、犠牲となる人が増えるばかりだからだ。
「
Pacos Escucha, Unete la Lucha」を歌う時がある。それは「
警察よ、聞いてくれ。一緒に戦おう」という意味だ。
チリ人の友人たちと参加したマーチ。
私が書いた段ボールには「La Lucha no es los pacos y los milicos vs nosotros. Es una lucha contra el sistema, el gobierno. Entonces Unete a la lucha」(「戦いは私たちvs軍人や警察ではありません。この社会や政府に対する戦いです。だから共に戦いましょう」)とある
現在チリや香港で行われているデモは決して他人事ではない。格差のない国なんてなければ、レバノン、ボリビア、エクアドル、世界中で今国民が「
起きはじめている」。
先週金曜日に行われた、チリの歴史最大級のデモで、
「Chile Despertó」(チリは起きた)と歌う国民を見た私は、思わず涙を流してしまった。
これだけ問題があっても、戦っている国民がいる。
国を作っているのは「人」なんだ、ということを改めて感じた。
日本でも、おかしな問題はたくさんある。だけどその問題の存在すら気づいていない人が多すぎる。今の日本をみると、日本を作っているのは誰なのか、なんなのか、考えてしまう。だからこそ、このムーブメント、を私は日本でも起こってほしいと思っているし日本の国民にも「起きてほしい」と強く思った。
<取材・文・撮影/山本和奈>