二度目の解放をされたシャハラムさん(左)とサファリさん(右)
茨城県にある牛久入管(東日本入国管理センター)では、多い時には100名以上の被収容者たちが長期収容による抗議のため、ハンガーストライキを行っていた。この件は、多くのメディアなどで取り上げられ、すでに知る人も多い。
6月に長崎県にある大村入管で、ハンストをしていたナイジェリア人が餓死をした。この件をきっかけに、多くのハンスト者のいる牛久入管では「命が危ない」と判断された人は次々と仮放免が出るようになった。しかしほとんどの人が、わずか2週間で再び収容された。
長い収容生活の末にやっと解放されたものの、2週間たったらまた収容されるという恐怖。一時的に自由の身になったとしても、彼らが心休まることは決してなかった。
難民申請をしているイラン人のサファリさんは、入管から理由も告げられず突然収容され、3年もの長い時を入管の中で過ごした。しかし、解放された2週間後に再収容となった。サファリさんにとって、またハンストを開始するしか収容に抵抗する手段はなかった。
ハンストをして身体を痛めつけるしか、解放される道がない
再収容後、サファリさんは筆者との面会の時に車いすで現れた。やせ細り、腰にはコルセットを巻いていた。ハンストにより筋肉が落ち、腰に痛みが走るようになったそうだ。
「再収容されたことで『また捕まるかもしれない』という恐怖の日々だけはなくなりました。職員に『見せしめのためにやった。帰国しないのなら、また3年収容する』と言われました。だけどその職員は泣いていました。私は良い人だと信じたいんです。
またハンストを始めたけど、水を飲むのも怖い。水を飲んで体重が増えたら『ハンストじゃない』って思われそうで……怖いんです」
サファリさんはずっと下を向いて、涙を流していた。