選挙協力、ヤジの排除……政治との結びつきを強める、公安と内閣情報調査室<日本の情報機関の政治化1>

情報機関自体の必要性に疑いの余地はない

 しかしその前に、誤解を招きやすい点について、あらかじめ述べておきたい。まず、筆者はやみくもに(公安)警察や情報機関の在り方を批判したいわけではない。そこで、誤解のないように、筆者が警察/情報機関をどのように考えているかについて、最初に立場を明らかにしておきたい。第1に、筆者には、(公安)警察のような組織や、内閣情報調査室といった情報機関の存在そのものを批判する意図は全くない。昨今の日本のおかれた安全保障環境は、極めて厳しい。そして、世界各国に実際に情報機関と謀略機関が存在する以上、それら諸国に対抗して、自国の安全を守らねばならないし、そのためにすぐれた治安維持機関や情報機関をもつ必要があることは論を俟たない。  第2に、そうした組織が、字義通りの合法性に則って活動すべきであるとも言わない。例えば、かつて警察組織内の裏金問題が問題になったことがある。しかし、難しい任務にあたる現場の警察官や情報機関の要員に、柔軟に経費と報酬を支出する必要があることは理解できる。また、一部幹部の蓄財ではなく、現場の要員に公平に配分されるならば、そのための裏金を杓子定規に批判するつもりはない。  ほかにも、例えば警察とヤクザはかつて持ちつ持たれつの関係にあったと言われることがあるが、その合理性も理解可能である。ある政治学者は、次のように言っている。「アメリカと比較すれば、日本の犯罪は二〇分の一だが、ヤクザの数は二〇倍以上である。組織犯罪は、それ固有の観点から、公共の秩序を維持する手助けをしている。それは、外国の麻薬を締め出すために、積極的に警察と協力しており、そうすることで、自分たちのビジネスを守り、日本の麻薬問題を管理可能な範囲に保っている」(カッツェンスタイン、ピーター・J『文化と国防―戦後日本の警察と軍隊』日本経済評論社、2007年、94-95頁)。  また、コロンビアとメキシコを対象にした最近の研究によれば、犯罪組織が統一されていて、国家治安機構も統一されている場合、麻薬組織間の抗争による治安の悪化を抑えることができると論じられている(Duran-Martinez, Angelica, 2018, The Politics of Drug Violence, Oxford University Press.)。こうした研究成果に照らせば、日本のヤクザ組織を通じた麻薬の統制のあり方は合理的であったと言っていいだろう。

情報機関と政権の間にはグレーな関係が存在したことも確かである

 第3に、さらに、しばしばこうした法的にグレーな活動を通じて治安を守らねばならないという性格ゆえに、警察組織が秘密主義的になることも理解できる。「定期的に警察を取材しているジャーナリストも含めて、警視庁の部外者は誰も、その組織内の人員配置や予算配分に関して正確なところは何も知らない」(カッツェンスタイン前掲書、84頁)。  とはいえ、だからこそ、信頼できる情報や資料が限られてしまうため、学術的な研究の対象とするのが難しくなっているという側面もあるだろう。だからこそ、本記事のように、真偽がそれほど定かとはいえない「匿名の取材源」による情報を用いざるを得なくなっている。この点は、ご了解いただきたい。  第4に、現政権が成立する以前から、情報機関と政権の間にはグレーな関係が存在したのであって、情報機関と政治の密接な関係は、今に始まったものではないことも承知している。情報機関は、しばしば違法な監視や抑圧を左翼勢力に対して行ってきた(今も行っているだろう)。  すでに1967年4月の警視庁「警備公安資料整理要綱」には、重要産業の労働者、学者、文化人、マスメディアに務める共産党員は監視対象となっているようである(青木理『日本の公安警察』、2000年、144-145頁や、野中弘敏『警備公安警察の研究』岩波書店、291-297頁)。共産党員に対する違法な盗聴等が行われたことも明らかになっている。とはいえ、暴力的方法によって今の政治経済秩序を根本的に変革しようとする(した)集団を、国家が監視し、抑圧を加えることに、一定の合理性が存在することは、認めざるを得ない。
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内閣情報調査室の力量を正確に分析する必要がある
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