死因は「エイのトゲが刺さった」から? それでも変わらぬ沖縄ジュゴンの「絶対的な危機的状況」

エイのトゲでジュゴンが死ぬのか?

 しかし、今回の解剖で死因が明らかになった一方で、いくつかの疑問が残る。  まず「エイのトゲでジュゴンが死ぬのか?」という、死因そのものへの疑問だ。解剖が実施された当初は、エイのトゲが体内から見つかったが「直接の死因とは考えられない」との見解も報道されていた。一転した判断が11日後に発表されただけに、疑問を抱いた人がいても仕方ない。  筆者は海生生物の知識を持ち合わせていないので明確な答えはない。しかし、書籍『ジュゴンの上手なつかまえかた』(市川光太郎著、岩波科学ライブラリー、2014年)に以下のような記述があった。 「スーダンの漁師に聞いた話では、エイの棘が臓器にささって(ジュゴンが)死ぬことがあるという。大型のエイの棘は20cmにもなるので、ありえない話ではないかもしれない。本当にエイが棘を十数cmもジュゴンに突き刺せるだろうか、という疑問は残るが。ウミヘビにせよエイにせよ、ジュゴンがエサを食べている時に、乗っかってしまったという説が濃厚である」  同書の著者の市川氏(京都大学フィールド科学研究センター特定研究員<当時>、現在は准教授)は、スーダンでのジュゴン調査の記述の中で、調査や研究に得られた知識を「科学知」と呼び、地域住民が生業を通じて得た経験や知識を「在来知」と説明している。エイのトゲでジュゴンが死ぬのかという疑問も、この「在来知」を考慮する観点に基づけばありえなくはないと言えよう。

ジュゴン解剖までの「空白の4か月」

琉球セメント桟橋

土砂の積み出しが行われている琉球セメント桟橋の入り口(2019年8月、名護市安和、筆者撮影)

 しかし、なぜ解剖までに4か月もの時間を要したのだろうか。ジュゴンの死骸は今年3月から7月まで今帰仁村の冷凍施設でたなざらし状態だった。前述のようにジュゴンの死と辺野古の工事を関連づけて考える風潮もあることから、「政治的な理由」の観点で関連事項をまとめてみた。 【ジュゴンの死骸発見から解剖・結果発表までの経緯】 ●3月18日 今帰仁村運天漁港で死骸が発見される ●3月28日 第19回環境監視等委員会、事務局(沖縄防衛局)が「死因調査に積極的に協力する」と発言 ●6月3日 第20回 環境監視等委員会、ジュゴンの死と辺野古の工事の作業船とは「無関係」と報告 ●7月17日 解剖が沖縄美ら島財団で実施 ●7月21日 参議院議員選挙 ●7月29日 解剖結果発表  上記の期間で、沖縄防衛局は「環境監視等委員会」を2回開催した。同委員会は、防衛局に環境保全対策に関する助言を与えることを目的として設立された専門家委員会だ(※)。3月の会合では「死因調査に積極的に協力する」との姿勢を表明しつつ、解剖実施前の6月には「ジュゴンの死と工事は無関係」と報告し、有識者の委員たちもそれを承認した(議事録より)。  つまり、防衛局が「辺野古とジュゴンの死が無関係」であることを主張して専門家委員会から「承認」をもらった。さらにメディアで報道されて「周知の事実」となってから、7月に解剖が行われたとも言える。  裏を返すと、防衛局には「“無実”が認められる前は解剖を行ってほしくない」という思惑があったのだろうか。工事によるジュゴンへの影響を最も恐れていたのは防衛局だったのかもしれない。  さらに、解剖は参院選最中の7月17日にひっそりと行われ、結果発表は21日の選挙後の29日に行われた。万が一、政府に都合の悪い結果が出た場合には参院選への影響も考慮し、選挙が終わるのを待っていたようにも見える。 ※「環境監視等委員会」とは沖縄防衛局が設置した委員会。仲井真弘多沖縄県知事(2013年12月当時)が辺野古・大浦湾の埋め立てを承認した際に、留意事項の一つとして設立を掲げた「専門家委員会」である。本来は、沖縄防衛局に環境保全対策に関する助言を与えることが目的。しかし、実際には新基地建設ありきの「お墨付き」を与える委員会になっていると、環境保護団体らから批判されている。
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公開されない解剖結果の報道資料
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