タイに渡った日本の機関車。あまりにも手探りな導入に日本人のおじさん2人が立ち上がる

やってこなかった日本からの技術指導

AS社のカラーは北斗星色

偶然AS社のカラーが北斗星色に酷似しているため、日本から納入されたままで使用しているように見える。(画像提供:木村正人)

 このときにAS社は木村氏と吉村氏の訪問を歓迎し、DD51ディーゼル機関車の試運転に同乗させてくれた。始動から走行の様子を動画撮影し、再度木村氏は動画サイトにアップした。この動画が日本でDD51を運用していた技師の目に留まり、しかも吉村氏の知り合いであったことから連絡が入ったという。 「安全に運行できる状況になく、特に制動不能の状態に陥る可能性がある」  辛辣な意見だった。  ただ、AS社としては木村氏・吉村氏が訪れた翌月の11月にDD51の技術者から直接タイで指導を受けるつもりであり、そのときの運転はあくまでも試運転であり、両氏表敬訪問のちょっとしたイベントのつもりだった。  しかし、その11月の技術者訪問は、AS社が期待していたJRからではなく、お隣のミャンマー国鉄のミャンマー人技師だった。AS社も寝耳に水くらいに驚いてしまう。ミャンマーにも2004年にDD51が譲渡されており、タイよりは知識があるからと商社が手配したのかもしれない。おそらく、すでに車両を手放していること、また契約には技術指導が含まれていなかったと見られ、今後もJR北海道から技術者が来る予定はないようだ。  AS社はせっかくDD51を入手したのだが、正しい運用方法がまだ掴めていない状態となってしまった。

日本人のおじさん2人が立ち上がる

ナンバープレート

このナンバープレートはAS社で作成したもの。日本の番号をそのままにしているところに彼らの愛着を感じる。(画像提供:木村正人)

 木村氏や吉村氏のほかにも日本の鉄道ファンがたびたびAS社を訪問しているので、同社の技術者たちにその想いが伝わり、DD51ディーゼル機関車に強い愛着を持ってくれているようだ。この日本製の車両が大切に扱われていることを木村氏と吉村氏はその目で見ている。そこで、タイの鉄道の発展、DD51が正しく安全に運用されるよう、吉村氏を中心にクラウドファンディングを立ち上げた。  2019年10月末を締め切りに、目標は150万円としている。DD51を知り尽くした日本の整備士と運転士をタイに送り込み、AS社に技術を継承しようというプロジェクトだ。タイ国鉄の複線化計画では早ければ年内中、遅くとも2020年の頭にはDD51を始動しなければならない。思った以上に切羽詰まった状況になっている。  たまたま見に行ったことがきっかけで、タイ国鉄の発展に避けては通れない複線化に関わることになった木村さんは、そもそも鉄道ファンではなかったそうだ。 「マニュアルを翻訳する中でこの車両について深く知り、そして触ってみたり、乗ってみたり、いじってみたりして、また技術支援プロジェクトが始まり、いろいろとこの車両について面倒を見ることになって、私にとってはより身近な車両になってしまいました」
DD51全体像

全体像を眺めると、昔の日本の国鉄らしいデザインでかっこいい。(画像提供:木村正人)

 DD51は高度成長期に生まれた車両だ。木村氏が日本で育った時代に活躍した車両でもある。だから、木村氏は「DD51が歩んできた道は自分の人生ともなんとなくダブるところがあると感じています」という。 「私はバブルの時代が終わるとタイに移住してしまいましたが、それから二十数年してこの車両とこうやって巡り合え付き合っているのはやはり縁なのでしょう」  今、日本のおじさまふたりを中心に、日本の古き良き時代のディーゼル機関車の運命が東南アジアのタイで動こうとしている。 <取材・文・撮影/高田胤臣>
(Twitter ID:@NatureNENEAM) たかだたねおみ●タイ在住のライター。最新刊に『亜細亜熱帯怪談』(高田胤臣著・丸山ゴンザレス監修・晶文社)がある。他に『バンコクアソビ』(イースト・プレス)など
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