ラオスでデビューした池田陽くん (本人Facebookより)
「ラオス」という国名を聞いて、果たしてどれくらいの人が地図上でこの国の場所を指せるだろうか。それほど、今はまだマイナーな国だと思う。日本からの直行便はチャーター便などの不定期でしか飛んでいないので、ラオスに行こうと思うと、ベトナムやタイを経由しなければならない。
ラオスは北を中国、東をベトナム、南側をタイに囲まれた内陸の国だ。地理的に不利なため、決して裕福な国とは言えない。逆に言えば「古き良き時代」が残っていて、社会主義国ながらも、のどかさがある国だと評される。
ラオスの首都ビエンチャンの飲食店からメコン河とタイ領土に沈む夕日を眺める
隣国タイが世界的に人気なのはご存じだろう。外務省が発表するタイの在留邦人者数は、2017年10月1日時点で72,754人になる。一方で、同期間のラオスにおける在留邦人はわずか863人である。東京や近郊にある、ちょっとしたマンションの住人数よりも少ないのではないか。
この在留邦人者数は、その地に90日以上滞在する日本人が大使館などに提出するように義務づけられている在留届がベースになっている。
統計では長期滞在邦人は大使館や日本政府に関連した業務、民間企業の日本人だけで500人近くを占める。残りは留学生や研究者、NGO関係者もいるだろう。また、100人くらいは統計上「自由業」という分類に入っている。
興味深いのは、
報道関係者がいないことだ。社会主義国だからとも思うが、中国やベトナムにも報道関係者はいるので、ラオスの日本人社会における職種は偏っているようだ。
隣国のタイはその点自由度が高く、日本人気もあることから、俳優やモデルを生業にする長期滞在者も存在する。さすがにラオスには……と思ったが、今年6月、日本人の若者がラオスでモデルデビューしていたのだ!
ラオスでデビューしたのは
池田陽(いけだ・よう)くんだ。正確には、日本国籍も有する、日本・ラオスのミックスである。ラオス名はヨー・セーントーンで、2002年1月に首都ビエンチャンの郊外にあるバンビエンという地域で生まれた。
ラオスに日本人が少ない理由のひとつに、日本人学校がないなどの教育問題がある。現地の日本人会が日本語補習校を開催しているので、そこに通わせつつ、インターナショナルスクールなどに行かせるしかない。
そのため、陽くんもまた幼稚園までは中華系の学校に行き、その後10歳まではインターナショナル校に通った。そして、10歳以降は父親の実家がある大阪に行き、小・中学校は日本で卒業している。
中学を卒業後はビエンチャンに戻り、インターナショナルスクールに通った。そして、この学校こそがデビューのきっかけにもなった。というのも、東南アジアにおいてインターナショナル校はそれなりの富裕層が通う学校になる。そのため、生徒の中には芸能活動をする者も少なくない。子どものころから家庭における経済的余裕から習い事などをしていて、芸能活動に結びつきやすいのだ。
陽くんはその影響を受けダンスなどを始めた。そうしてスカウトの目に留まり、芸能界デビューとなったわけだ。ミックスなだけあって、顔立ちも一般的なラオス人とは違う。また、東南アジアにある信仰にも近い「色白」という武器も日本人の血から受け継いでいる。
とはいえ、最初からすべてが順風満帆だったわけではない。撮影会にモデルとして呼ばれたり ラオスのトレンディ・ドラマの脇役など、小さな仕事をコツコツとこなした。そうして少しずつビエンチャンで有名になり、ついにラオスで一番大きな芸能プロダクションから声がかかり、6月に本格デビューに契約に至った。