もう一つの被災原発。女川原子力発電所<短期集中連載・全国原子力・核施設一挙訪問の旅3>

牡鹿半島から石巻へ

 牡鹿半島の東岸にある女川原子力発電所を離れ、牡鹿半島を横断して半島西岸を石巻へと北上しました。殆どの集落はすべて根こそぎ流されてしまい、更地となっていましたが、住居の高台移転、防潮堤の建設、道路の改良、付け替えが急速に進められていました。たいへんな土木工事量です。 女川町は、総人口の8.7%が死亡・行方不明となり石巻市では2.5%が犠牲となる大被害を受けています。しかし9年目の復興事業は、どのように集落の産業をもり立てるかという難題はのこるものの進みつつありました。 石巻市街地にはいると、壊滅的津波被害を受けた住宅街の海側を通る県道240号線の築堤化工事が進んでいました。仙台東部道路に見られたように築堤方式の道路は内陸部の第二堤として機能し、津波被害の拡大を抑止する効果が期待できます。但し、築堤方式の道路や鉄道は、地域を完全に二分するために街の形成と発展に大きな障害となります。このため高架方式が多くとられてきたので、必ずしも築堤方式が優位である訳ではありません。  石巻の場合は、石巻漁港、水産市場、水産加工場と住宅街とを道路で分断しますので、影響は軽微かもしれません。いずれにせよ今後どのように復興してゆくかのモデルケースになるかもしれません。
牡鹿半島西岸の石巻市荻浜地区

2019/7/5牡鹿半島西岸の石巻市荻浜地区GoProによる
左にみえる防潮堤の外が荻浜港、左右両側の集落は壊滅した。
正面に高台移転した荻浜集落が見える

築堤化工事中の県道240号線

2019/7/5築堤化工事中の県道240号線GoProによる
この道路は平面道路だったが、築堤化して右側(山側)の住宅街を守ろうとしている。
写真左側の石巻漁港は、水没したものの流されなかったが、右側の住宅街は多くの建物が流された

2011年3月19日撮影の石巻漁港から旧北上川河口の航空写真

2011/03/19石巻漁港から旧北上川河口の航空写真
沖合の防潮堤を突破されるとなすすべもなく山の麓まで浸水している。とくに旧北上川は、無堤河川だったとの事で、川が導波路となり、津波被害を著しく拡大したとされている
*国土地理院 地形図・空中写真閲覧サービスより

 この日は、いわき市から石巻市まで通常は三日に分けるべき取材を一日で終わらせました。結局宿に着いたのは18時前頃、ファイルのバックアップなどが終わったのは22時頃。  当然、原稿は一つも書けませんでした。話が違うじゃないかと思い始めながらも翌日のために床につきました。  さて、翌日7/6第三日目は、石巻発、盛岡経由、六ヶ所村原燃施設群、東通(東北電)、東通(東電)を経て青森泊ですが。ここまでを第一部としていったん締めます。  本稿では触れなかった女川原子力発電所の詳細については、別稿でご紹介します。 ◆<短期集中連載>全国原子力・核施設一挙訪問の旅3 <取材・文/牧田寛>
Twitter ID:@BB45_Colorado まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題について、そして2020年4月からは新型コロナウィルス・パンデミックについてのメルマガ「コロラド博士メルマガ(定期便)」好評配信中
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