いまだ線量計が鳴りまくり、復興進まぬ帰還困難区域の今<短期集中連載・全国原子力・核施設一挙訪問の旅2>

除染廃棄物を入れた袋が積まれていた南相馬

 南相馬市に入ると、小高区の様に津波被害からの復興が著しく遅れている地域が目に付くことと、国道から見渡せる農地の殆どが休耕中であること、街路樹が片っ端から除去されていることが目に付きますが、住民の生活、経済活動は活発に営まれていることが見て取れました。  一方で、所々で国道から目隠しした広大な農地にフレコンバック(除染廃棄物を入れた大きな袋)がズラリと並んでいる光景も目に付きました。これは帰還困難区域の南側では見られなかったことで、福島核災害時に放射能プリュームが南相馬市の南側を通過し、降雨によって飯舘村などを激しく放射能汚染したことの名残でしょうか。フレコンバックもやたらと多いと感じました。  Googleマップの衛星写真で見ても、富岡町など南側に比して、南相馬市でのフレコンバックの多さは圧倒的です。これはやはり南相馬市は復興が早く、徹底した除染が行われたことと、放射能プリュームが南相馬市南部を通過したことが関係していると考えるべきでしょう。  現在は、休耕中の農地や復興の進んでいない海岸沿いに中間貯蔵していますが、近い将来、どこかに移さねば復興は進みません。しかし、どこへ……?
南相馬市原町区

7/5 南相馬市原町区(遠方に磐城太田駅が見える) 牧田撮影
国道から農地を目隠ししているが、大量のフレコンバックが並んでいる

 南相馬市原町区を更に北進すると、中心街の東側をかすめます。このあたりでは、街路樹がすべて伐採除去されていることと、相変わらず農地の殆どが休耕中であることを除けば異変は見られません。街路樹については、再植樹が始まっており、農地も圃場整備と思われる事業が一部に見られました。  時間がありませんので、ここから南相馬鹿島ICに向かい、常磐道を宮城へと北進しました。ICまでの途中、新築の家がずいぶん多いことと、やはり農地の多くは休耕中であることが目に付きました。また常磐道を北上する間も、人は住んでいるものの一部の試験耕作地を除いて農地は休耕中の土地がたいへんに目立ちました。  核災害の爪痕は、とくに農地に多く見られたといえます。
南相馬市原町区北原

7/5南相馬市原町区北原GoProより
何もなかったかのように平穏だが、街路樹がすべて除去されている

南相馬市原町区上高平

7/5 南相馬市原町区上高平GoProより
農地は、相変わらず休耕地がたいへんに多い

農業復興の遅れが目立った福島浜通り

 この日は、いわき市をでて、福島県浜通りを通り、仙台市を経て女川原子力発電所、石巻市というめちゃくちゃな予定となっていましたので、お昼前までには仙台市に到着せねばなりませんでした。  仕方がありませんので、南相馬市原町区より北は諦めて南相馬鹿島IC以北は常磐道を北進しました。  道中、農耕地の様子がどうしても気になりましたので、車窓より観察を続けましたが、やはり福島県内では休耕地が続きました。但し手入れはなされていました。
相馬市粟津付近

7/5相馬市粟津付近 牧田撮影
やはり農地は休耕中である

 福島核災害においては、放射能プリュームが通過した地域とそうでない地域では放射能汚染に桁違いの差があり、とくに二号炉からのプリュームを最大として、三号炉からのプリュームなど、大規模プリュームが発生したときに不幸にも風下側にあった地域が甚大な打撃を受けていることが知られています。何しろ、NBC防護(核・生物・化学兵器防護)がなされている合衆国空母部隊ですらプリュームに突っ込み、這々の体で逃げ出したあと、除染に苦労したほどです。  南相馬市は、プリュームの僅かに北側にあった事と、当時の降雨降雪の状況から、迅速に復興できる程度には被害が抑えられたといえます。しかし小高区などは、プリュームの影響が比較的強く残っており、津波被害もあって復興が著しく遅れていることが目に付きました。  核災害時における放射能プリュームは、残念ながら人間による制御(コントロール)からは完全に外れており、いつどのように発生するかは分かりません。福島核災害において南相馬市は、偶然の積み重ねから福島第一原子力発電所からの距離の割には放射能プリュームによる被害が軽かったといえますが、当時の風向きが僅かに南寄りにずれていれば富岡町北部から双葉町にかけての様な惨状になっていた可能性は十分にありました。むしろ今の程度で済み、復興が進んでいることは暁光といえましょう。  またこれは予想通りでしたが、農業の復旧が遅々として進んでいないことが目立ちました。農業の復興には、農地の回復だけでなく、「食べて応援」キャンペーンによって奈落の底に沈んだ「信用」という「ブランド」=「風評」の回復がきわめて重要です。「風評被害」という「国策呪詛」によって消費者へ責任転嫁し、罵倒し、愚弄してきた一部の無責任な国策論調による信用失墜=ブランドの喪失は根深いものがあって、財布の紐を握る消費者は、黙って去って行き二度と戻ってきません。  食品の価値の過半は、「信用」なのです。  福島核災害の発災者は東京電力ですので、こういった経済損失に対しては、原子炉からビス一本、髪の毛一本に至るまであらゆるものを差し出してでも賠償してゆかねばなりません。現在東京電力は、徹底してそれをサボタージュしていると言えます。  さて、7/5(金)の記録は、まだまだ続きますが、長くなりますのでここでいったん切り、次回は仙台市から女川原子力発電所、石巻市と続きます。 ◆<短期集中連載>全国原子力・核施設一挙訪問の旅
Twitter ID:@BB45_Colorado まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題について、そして2020年4月からは新型コロナウィルス・パンデミックについてのメルマガ「コロラド博士メルマガ(定期便)」好評配信中
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