いまだ線量計が鳴りまくり、復興進まぬ帰還困難区域の今<短期集中連載・全国原子力・核施設一挙訪問の旅2>

富岡町北部から、景色と線量計の様子が一変した

 農業以外は、ずいぶん復興が進んでいるなと感心しながら国道6号線を北上すると、富岡町の北部に入り景色が一変しました。まず歩行者・二輪車通行禁止の看板が現れ、交差点には検問所があって通行証がなければ脇道には入れなくなりました。そして所々に警備員が立っていました。線量計は車内で5mSv/yとなっており、防護服無し、マスクのみの警備員による立哨は非人道的ではないかと思われましたが、立哨地点には鉄板が敷いてあるとのことです。
旧富岡消防署付近

7/5富岡町 旧富岡消防署付近 ツイキャスより
マスクだけの警備員が立哨しているが、この付近ではすでに車内で5mSv/yとなっていた

 更に北上して大熊町に入ると建物は封鎖されており、交差点も封鎖されているか、検問されていました。家屋などの震災被害は放置されており、地震による被災を今も残していました。  放射線量は、大熊町中央台交差点での車内15mSv/y*を最高値として5mSv/yを中心に常に1mSv/y以上と高い値を示していました。除染が徹底してなされた国道において車内でこの数値では、とても居住、一般の労働はできません。実際、労働力の確保ができないためか、そもそも労力を投じないためか、路側も街並みも農地も草ボウボウで、雑木林にまでなっている始末でした。だいたい2mSv/yをこえると鳴るように設定してある線量計は終始鳴いている有り様で、やはり帰還困難区域とその外とでは明らかに放射能汚染の程度が大きく異なりました。 <*但しこの数値は局地的なもの且つ測定一回なので、誤検知である可能性もある>
大熊町大字熊町

7/5大熊町大字熊町 ツイキャスより
家屋や交差点は封鎖されており、建物の震災被害は放置されている

大熊町大字熊町熊町郵便局付近

7/5大熊町大字熊町熊町郵便局付近 牧田撮影

 福島第一原子力発電所前を通過し、双葉町に入ると、線量は大きく低下しましたが、それでも車内測定で1~5mSvでした。しかし、封鎖されている町の中で双葉厚生病院付近の出光や、コスモ石油のガソリンスタンドは営業を行っていました。この帰還困難区域の国道6号線でガス欠を起こしたらたいへんに困るので、給油をどうするのか疑問でしたが、このように営業を行っているガソリンスタンドがあり、給油の機会が確保されていました。なお店員さんは、屋内で待機していました。  双葉町では、前田建設などの土木・建築系企業の拠点が活動をしていましたが、コンビニなどは閉鎖されたままでした。  双葉町では、線量計が鳴いたり時々鳴かなかったりで、まだら状の線量分布がだいたい分かりました。
双葉町双葉厚生病院付近

7/5双葉町双葉厚生病院付近 牧田撮影
封鎖された街区では、震災被害が放置されている

双葉町双葉厚生病院付近

7/5双葉町双葉厚生病院付近 牧田撮影
出光とコスモのガソリンスタンドが営業を行っていた。線量計は車内で1~2mSv/yであった

 浪江町に入ると、大型衣料品店がゼネコンの営業所になっているなど、復興作業関係企業の拠点が活動していることが目立ちはじめました。また一部飲食店の営業もなされていました。  浪江町では、すでに帰還困難地域以外の制限は解除されていますが、常磐道より西側全域と東側の一部地域が帰還困難区域であり、核災害前の人口21,500から、居住人口約1,000人まで激減しています*。 <*参照:“区域再編及び避難指示解除について | 浪江町ホームページ” >  現在は、帰還困難区域のゲートタウンとして産業の再建がなされていると思われます。  線量計は、鳴いたり鳴かなかったりでしたが、国道沿いではだいたい車内2mSv/y以下でした。国道6号線を北上すると、線量計は静かになりました。
浪江町

7/5浪江町 ツイキャスより
右にあるしまむらは、看板そのままで安藤ハザマの拠点となっている

津波被害の跡がいまだ色濃い南相馬市小高区

 南相馬市にはいってすぐの小高区では、激しい津波被害の跡がありました。ここでは国道6号線も津波で浸水しており、国道より東側(海側)は、海岸まで見渡せるほどに何もなくなってしまっていました。  南相馬市は、低地に良い農地が広がるのですが、津波の時には海岸から2km前後まで10mを超える津波によって壊滅的な被害を受けていることが知られています。被災者の救出も、翌12日の核災害によって断念されています。  震災からすでに9年目になる今日においても、津波被害の痕跡が強く残り、復興も殆ど進んでいません。これが核災害の特徴です。本来ならば、とっくに復興の最中で槌音が響いているはずなのです。  小高区を出るあたりでGoProが突然警報を鳴らして死んでしまいました。ファイルエラーを表示し、なんといわき市から南相馬市小高区までの記録が全部消えてしまいました。放射線による異常動作か!?いえ、おそらく熱暴走でしょう。今回、多くの写真で画像品質が著しく低いですが、GoProの映像を失ったために、ツイキャスの映像を使っている為です。  GoProが肝心なところで死んでしまったので、急ぎ停まって調整できるところを探していると、見落としが無い限り帰還困難区域を出て初の国道沿いで営業しているコンビニを見つけました。  コンビニの駐車場でGoProを再起動しましたが、よく見るとSDメモリーカードが64GBしかありません。おいおい、2k動画撮影は一日あたり128GBは要るでしょうが。仕方ないので私のカメラ用の予備を使いましたが、GoProはレートが高いフル2kなので、1日128GB+64GBが必須でした。  早速、四谷の事務所に256GBのSDカード三枚くらい送れと要求しましたが・・・・・結局送って来ませんでした
南相馬市小高区(海側)

7/5南相馬市小高区(海側) 牧田撮影
このあたりは10mを超える津波が来襲したとされ、海岸まで何もかもなくなり、2012年になっても水につかっていた。その後も核災害の影響でフレコンバックが並ぶ一方で復興はあまり––進んでいない

南相馬市小高区福岡

南相馬市小高区福岡 GoProより
見落としがなければ、ここが国道沿い北側で最初の営業中のコンビニである。街路樹が全くないことに注意

 GoProは、突然死んでしまうことがあり、私のメインカメラ(Nikon D600)は、不調で序盤から使用不能。先行き思いやられますが、気を取り直して出発しました。大丈夫、メインカメラがやられただけだ、サブカメラ(Nikon D5300)がある!
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農地に目立った復興の遅れ
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