上西:この記事が良いのは、配信されたのがほぼ選挙の日じゃないですか。普通そういうときって当たり障りのない、安倍首相はこう言いました、みたいなストレート記事だけで踏み込んだことを言わないようなものを出すと思うんですけど、これかなり政権批判的なニュアンスもありますね。
齊藤:これまで、確かに報道はバランスをすごく大事にしてきたんです。特に選挙取材ってものすごくセンシティブなものがあるので。
齊藤信宏氏
これまでの政治部による報道がまさにそうですし、新聞社もテレビ局も、例えば自民党を取り上げたら、立憲民主も取り上げなきゃいけないし、共産党も取り上げなきゃっていうやり方をしていたんです。でも、それによって、選挙期間中の報道って、ものすごく平板になっているんです。今でも新聞で政策比較とかやっていますが、どうしても当たり障りのない内容になりがちなんですよ。
ネットで読んでいる人っていうのは、新聞みたいに家に届くわけではありませんから、読みたくなければ読まないわけです。つまらなければ読んでもらえないんです。だから、読者に読んでもらえるような記事を出さないといけないという気持ちが記者全員にあると思います。
あと、ネットのいいところは、紙面は制約があるし、ぱっと見ると、写真が並ぶので、各党の党首が揃っていないと何かバランスを欠いた感じになりますよね。でも、ネットであれば、その日は、山本太郎さん、次の日は安倍晋三さん、次は枝野幸男さんと、一日交代で誰か党首が出ていればそれでトータルで1週間見たら、バランス取れるんじゃないですかと。
だから、安倍首相の演説を取材した同じ記者は、山本太郎さんも取り上げて、その次の日は別の記者が、秋葉原でコスプレやった玉木雄一郎さんを取り上げた記事も出しているんです。
上西:政権批判的な記事を出すと、官邸からクレームが来たりしませんでしたか? テレビだと、街頭インタビューの取り上げ方などに偏りがあるとして、幹部あてに電話が来たなんて話がありましたけど……。
齊藤:それはなかったですね。テレビは影響力が大きいからセンシティブになっているのかもしれませんね。ただ、もし私が政治部記者で、官邸詰めの記者だとしますよね。で、私が普段から首相官邸を取材して、安倍さんとか菅さんとか、官房副長官とか、そういった人たちを取材していて、そんな私が批判的な記事を書くと、「ちょっと齊藤さん、いつもね、あれだけお付き合いしていろいろなことをざっくばらんに話しているのに、これはないでしょう。あなた、ちょっとどういうことですか?」って、言ってくる可能性はあります。
あとは、社内で、政治部のデスクから、「あの表現はちょっと品がないんじゃないですかね」みたいなことを言われたことありますが、クレームというほどのものはありませんね。あくまで感想レベルです。
上西:いま、政治部・社会部という他部署の話が出ましたが、統合デジタル取材センターっていうのはそういういろんなところから、2017年春に人員が集められたわけですか。デジタル記事を書くために?
齊藤:はい。新聞業界というのは、実はすごく硬直した組織になっていたんです。霞が関の官僚の人と話していると、よく言われるのは「霞が関のこと批判してくれるのはいいと思う。古いとか旧態依然としてるとかって。でも少なくとも霞が関は省庁再編もしてるし、なくなった官庁もあるし、大蔵省は二つに割れて財務省と金融庁になったりしてるんですよ。でも、新聞社はなんですか」と。確かにその通りで、明治時代からほぼ政治部・経済部・社会部・外信部・運動部って縦割りの組織は変わっていないらしいんです。
さらにその組織の中で、朝刊夕刊に原稿を出す、特ダネを出すというのも変わっていない。これが100年以上続いていたわけです。紙に出すことが最大の目的で、紙で特ダネを書くことと、紙に事件や事故の一報を載せるというのが最大の仕事なんです。例えば朝刊の締め切りが夜だとしますよね? そうするとですね、朝発生した事件、あるいは午前中に起こったような出来事でも、夕刊への一報の出稿が終われば、あとは翌朝の朝刊に間に合えばいいなとなる。そうすると、ゆったり昼ご飯食べて、お茶飲んで、ちょっと取材相手と連絡を取って、取材したりして。で、夕方5時6時ぐらいから「さてやるか」っていう感じで、原稿を書き始めるわけです。
そうしたら、ネット上ではもうバンバンその話は流れているんですよ。で、翌朝にはもう古臭い話になってしまう。
こうした習慣は染み付いたものなので、なかなか改められない。それならばゲリラ部隊を作ろうと。そういう目的で設置されたのが統合デジタル取材センターです。だから私も、最初の頃、記者たちにこう言ったんです。
「我々は、政治部・経済部・社会部から記事をぶんどってくる、原稿をぶんどってくるのが仕事だから、もう彼らがもたもたしているようだったら、こっちで書きますからと言って、ガーッとこっちでやっちゃえ」って。
つまりこう、社内で変革していくために突破口を作ろうという思いで設置されたんです。
上西:突破口を作ろうっていうことは、どこが決断したんですか?
齊藤:それは上層部ですね。というのも、記者クラブ持ちだったり、遊軍だったり、さまざまな記者が1000人近くいますが、彼らは各々課題があってそれぞれの課題を追いかけているわけです。そうして眼の前の仕事に追われていると、新聞の部数が年々減っていて、デジタルの時代になってますよっていうことはわかっていても、なかなか動けないわけです。だから、上の人間がこれじゃ駄目だと声をかけないといけなかった。ところが、一回声をかけてみたら、「出来る奴」が出てきて、ダーッと動き始めるんです。
上西:そういうスタッフはやはり若い世代になるんですか? とはいえ、こうした長い記事となると、1人で企画を立てて、あの人に聞こうとかそういうアテもあって、取材して全部書いてだから、かなり力量がいりますよね。
齊藤:だいたい10年目くらいですね。新人は支局に必ず4〜5年行って、そこで事件取材とか選挙の取材とか、高校野球だとか社会人野球だとかの取材をして、その後、東京や大阪、福岡の各本社などに異動して、大きな組織に入ってそこでやる。そこで5年ほど経験を積んだ記者を、よりすぐって引き抜いてきた感じです。