自由!
2019.6.15デモ前日。誰もが頭に浮かべていた「3文字」
朝、ホテルを出るとすでに脚が動かなくなっていた。
地下鉄の駅まで歩くこともできず、TAXIを停める手すら挙げられない状態だった。
香港のホテルに湯船がないことも原因のひとつかもしれない。予定を変えてフットマッサージ。30分施術してもらうと少しだけ歩けるようになった。
明日何が起こるのか、誰にも読めない状態だった。
外国人記者クラブのカフェで映像の編集作業などをしていた。
とにかく明日が来る前に、今までの写真や動画を編集しておく必要があると焦っていた。
記者たちも、さすがにその日は慌ただしく蠢めいていた。
唯一、カフェの給仕の香港紳士だけがいつも以上にゆったりと落ち着き払って、小気味良いジョークを飛ばしていた。英国仕込みの間の利いたユーモアに僕の緊張感も少しだけやわらいだ。
ここでの勤務も相当長いであろう彼は、きっと僕の気持ちなどすべてお見通しでそのようにふる舞っていたのだろう。
天安門のあの夜も、彼はきっとここで珈琲を注いでいたのかもしれない。
壁にかけられた天安門事件の写真がどうしても眼の端に入ってくる。
そう「天安門」その3文字がこの数日、誰の頭にもずっと居座っていただろう。
鉛のように重く、冷たく。
もはや、逆にその「3文字」を誰も口に出せないほど、皆、意識していた。
日本からのSNSで面識のない人間から「明日は天安門が云々」というようなリプライが来るのが正直、鬱陶しくてしょうがなかった。
実弾の届かない遠い場所から、現場にいる人間に対してよくもまあそんな雑なことを言えたもんだ。
リベラル層のこの無自覚な不遜さ、当事者性への無配慮って日本の政治参加が広がらない理由のひとつだろうと思う。
この日からホテルを現場である立法会の徒歩圏に取り直した。
明日、何があってもここ集えるようにだ。
ホテルのロビーでLEEJと待ち合わせる。
「そういえば、あっちのビルの下にクッション敷いてて消防とかきてましたけど、なんか知ってます?」
「え?わかんない。火事でもあったのかな?」
とその時はまだ僕らは何も知らなかった。
メキシコ訛りのスペイン語を使えるLEEJはスペインの通信社とやりとりして映像を提供していた。どうやら、香港のカメラマンたちが「仕事なんかしてる場合じゃない!」とデモに参加しているため、その手の需要が海外からあるそうだ。
香港の報道はまだ、日本より機能している感じていたが、活き活きしすぎてこんな事態も発生していたのだ。
今の日本では考えられない話で、またひとつ固定観念が心地良くぶち壊された。
反送中
SNSに速報が入る。
15時の会見で行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)が法案の延期を発表した。
一瞬は吉報かと感じたが、「独裁者に勝った!」などと喜んでいるのは日本のエセ保守層だけだったように思う。
法案延期で市民の熱を削ぐのは林鄭月娥の常套手段だそうで以前にも何度か似たようなことがあったそうだ。
明日のデモに参加する市民の足を止めることが狙いなのは明らかだった。