子どもを親から独立した責任者として人権を認める欧米の社会と、自分の子には平気で手を上げてしまうほど親子を主従関係にしてきた日本社会では、子育て文化が異なる。
主従関係があるのは、親子の間だけではない。一時保護所や児童養護施設の基本姿勢は、「保護してやるから黙って従え」「意見は尊重してやるから子どもの権利なんてことは言いだすな」というものだ。これは、政治家自体が子どもの権利にピンとこないまま、法整備において世界から50年ほど遅れをとっていることを恥じていない証拠だ。
大人と比べれば体も圧倒的に小さく、親の庇護の下でしか生きられない10歳以下の子どもが虐待の主な被害者である以上、体罰は大人が力任せに支配する極めて卑劣な行為だ。
親に刑務所に入ってもらわなければ、子どもは「どこの家でもこれがふつう」と思って耐え続け、やがて虐待はエスカレートし、殺されてしまいかねない。親の逮捕で働き手を失って「子どもの利益にならない」なら、それこそ特別子ども手当として生活費や進学費を支給する制度を作ったり、子どもが無償でカウンセリングや医療を受けられる権利を提供すればいいだけだ。
いずれにせよ、日本では1990年の初調査からずっと虐待相談件数が増え続け、30年間で約130倍に増えている。
この間、体罰禁止を法律に盛り込んでこなかったのは遅きに失する。せめて10年前に罰則規定のある体罰禁止が法制化されていたら、殺されずに済んだ子どももいたはずだ。小さな子どもが何人親に殺されたら、まともな改正を行うのだろう。
もちろん、厳罰化で虐待抑止の効果があるかは、わからない。体罰が禁止されたら、大声で怒鳴ったり、にらみつけて威嚇したり、ものを破壊しては子どもを怖がらせるなど、恐怖と不安で支配する心理的虐待を平気で行うのが、体罰をためらわない親にはありがちなことだ。
そして、今日の虐待では、4タイプのうち、心理的虐待が一番多い。
これは、2004年に児童虐待防止法の改正によって父母間の暴力を子どもが見たら「面前DV」として心理的虐待にあったとみなすことを明記し、警察もこの改正を受け、面前DV案件として児相に通告することになったからだ。
心理的虐待は自尊心を殺し、子どもの成長と共に精神病や自殺企図、自己評価の低さなどの生きずらさをしみこませ、子どもが一生苦しむことになる。本来は、数の最も多い心理的虐待の解決にも踏み込むべきだったのではないか。
日本小児科学会は2016年、虐待で死亡した可能性のある15歳未満の子供が全国で年間約350人に上るとの推計を発表したが、これは厚労省の集計の3~5倍に上る。厚労省の発表できる数字は、氷山の一角でしかない。児相に保護されても、児童養護施設に移送されれば、学費不足で大学進学をあきらめてしまう子もいる。
政治家には、本当に切実な課題にメスを入れることに予算を割き、不都合な現実に向き合ってほしい。子どもは有権者ではないからこそ政治的な不遇にあっているし、子どもの人権は政治家の利益のために利用されては困るのだから。
筆者は、子どもの前で「今回の改正は一歩前進」などとは、とても言えない。
<文/今一生>
フリーライター&書籍編集者。
1997年、『日本一醜い親への手紙』3部作をCreate Media名義で企画・編集し、「アダルトチルドレン」ブームを牽引。1999年、被虐待児童とDV妻が経済的かつ合法的に自立できる本『完全家出マニュアル』を発表。そこで造語した「プチ家出」は流行語に。
その後、社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスの取材を続け、2007年に東京大学で自主ゼミの講師に招かれる。2011年3月11日以後は、日本財団など全国各地でソーシャルデザインに関する講演を精力的に行う。
著書に、『よのなかを変える技術14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)など多数。最新刊は、『日本一醜い親への手紙そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO)。