今夏の選挙で野党の勝敗を分けるものとは?<小沢一郎ロングインタビュー第1回>

日常の政治活動を「古い」と言ってしまうようでは、政権はとれない

小沢一郎インタビュー1-2「選挙戦術的な面から言うと、旧民主党系の皆さんは日常の政治活動が足りません。これでは勝てるわけがない。自民党はとにかく、日常活動を一生懸命やっています。冠婚葬祭や小さな集会にも顔を出し、街を歩いて有権者一人一人と握手して支持を訴える。『この点だけは自民党に学べ』と僕は言い続けているんです。 ところが、『それは古いやり方だ』と反論されてしまう。『日常活動をしないで、どうやって有権者と意思疎通するんだ?』と聞くと、『インターネットを使います』と言う。でも、人間はデジタルじゃなくアナログな存在です。直接話さなければ、国民の気持ちはわかりません」  小沢氏には忘れられない思い出がある。20数年前に訪英したときのこと。ロンドンで月曜日に会談した当時の外相がこう言った。 「先週の金曜日には中東を訪問しました。帰国後、土曜日、日曜日は選挙区で運動。今朝戻って、あなたがたと会っている」  小沢氏は驚いた。 「現職の閣僚でもそんなに選挙活動をしているんですか?」  外相は即答した。 「当然です。選挙民と接触し、意思疎通をするのは民主主義の基本。政治家の側から言えば、当然払うべきコストです」  議会制民主主義では先端を走っているといわれる英国。保守党だけでなく、労働党の国会議員も地元での活動は精力的に行っている。 「当選回数1~2回の皆さんを、いちど英国に連れて行きたいくらいです。日常の政治活動を『古い』と感じてしまうようでは、政権は取れません」  小沢氏は自民党時代、農協や医師会などの推薦を受けたことはない。党幹事長になっても、組織・団体票とは無縁の選挙戦だった。 「組織・団体票はそれほどあてになりません。それよりも自分自身の人間関係を作り上げること。そのためにも、日常の政治活動はやらざるを得ないものなんです」

「オリーブの木」方式で一体となって戦えば、野党は負けるわけがない

小沢一郎インタビュー1-3 自民党の選挙戦を差配するのは二階俊博幹事長と甘利明選挙対策委員長。小沢氏の目には古巣の選挙戦術はどう映っているのだろう。 「かつての自民党では幹事長のもと、総務局長が選挙戦をすべて指揮していました。総務局長は経理局長と並んでエリートコースだった(小沢氏は総務局長、幹事長を歴任)。少なくとも、かつての総務局長はたいへんな権限を持っていたし、実力が要求されました。でも、最近では何でも官邸主導。選挙対策に限らず、自民党の各部署は色あせてしまったんじゃないでしょうか」  自公政権の目的は「政権にあり続けること」のようにも見える。一方、野党側にも政権への執着心、政権を奪ってやろうという気概は感じられない。 「この点も学ばないといけない。品のいい言葉で言えば“志”、少々イメージの悪い表現を使うと、“欲”が必要なんです。現実の政治にはそうしたものがなければならない。そうでないと、きれいごとだけの世界になってしまいます。哲学や文学の本を読んでいるのと変わらない。これでは政治はやれません」  参院選での野党の課題は、32ある1人区の候補者一本化だ。すでに30選挙区で作業が終わっている。さらに衆参同日選となれば、衆院小選挙区の一本化も必要となる。 「衆参どちらであれ、野党が一本化すれば勝てるかというと、そうではない。2016年参院選では27の1人区で野党統一候補が実現しました。でも11議席しか取れなかった。やはり、選挙区も比例区も野党は一つのグループとして、一体となって選挙に臨まないといけません。俗に言う『オリーブの木』方式です」 「オリーブの木」は1995年、イタリアのベルルスコーニ政権を打倒するために12党が参加した緩やかな連合体。翌年の総選挙で勝利し、プロディ政権が誕生した。 「既存の政党はそのままで参院選の届け出政党を『オリーブの木』方式で結成する。野党候補は選挙区も比例区も、全員が『オリーブの木』の名のもとに戦う。そうすれば負けるわけはない。現時点で、野党票のほうが自民党より多いわけだから。これに足が遠のいてしまっていた層が加われば、必ず圧勝します」 【小沢一郎氏プロフィール】 1942年岩手県水沢市(現奥州市)生まれ。1969年、自民党公認で衆議院選挙に出馬し、27歳で初当選。田中角栄氏の薫陶を受ける。1987年に竹下登、金丸信氏らと経世会を旗揚げ。’89年に幹事長に就任するなど若くして自民党の要職についたが、1993年に自民党を離党し細川連立政権樹立に尽力。2009年の鳩山政権では幹事長に就任。2012年、民主党を離党し自由党を結党するも2019年に国民民主党へ合流。今年12月28日、在職50年を迎え名誉議員となる。 <取材・文/片田直久 撮影/大房千夏>
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