難民申請中のクルド人が「理由なき」収容。長期化する収容に絶望も

「重量オーバー」での車の運転。これは、通常であれば警察から反則切符を切られ、罰金を払えば済む「道路交通法違反」だ。ところが、トルコ出身のクルド人のゼンギン・ジェムさん(36歳)の場合は、これだけのために東京出入国在留管理局(東京都港区)に収容され、いつ出られるのかまったくわからない状況に置かれている。

トルコで迫害を受け「平和な国に住みたい」と日本へ

牛久収容所

茨城県牛久市にある「東日本入国管理センター

 ゼンギンさんの初来日は16歳だった1999年。トルコでは、クルド人はトルコ人から迫害を受けている。かつては公の場でのクルド語の会話は禁止され、学校でうっかりそれを口にしようものなら、生徒は教師から棒で殴られたという。  また、民主化を求めるデモに参加しただけで、警察がクルド人を連行しては殴る蹴るの暴力は当たり前。少年だったゼンギンさんはクルド人を巡る日常に明るい将来を描くことができず、トルコ出国を決意。3か月の観光ビザで日本にやってきた。  近くのヨーロッパではなく日本を選んだのは「平和な国」で暮らしたかったからだ。そして、入国後に難民認定申請をするが、2年後に「不許可」と裁定され、仕方なくトルコに自主帰国した。  だが3か月後、やはりクルド人への差別に耐えられずに再来日。数年間、解体工事現場で働くも、警察に不法就労が発覚し強制送還される。トルコで待っていたのは兵役義務だった。  多くのクルド人がこの兵役義務を嫌がる。国内にはクルド人の権利拡大を訴える武装勢力がいくつか存在し、トルコ軍の入隊は同じクルド人に銃を向けることを意味するからだ。ゼンギンさんは車の重機を扱えたので、工事班に所属して1年3か月後に除隊した。

収容されたのは「本当に重量オーバーだけが理由?」

祭り

今年3月17日、クルド人の新年を祝うお祭り「ネウロズ」が開催された。この準備に尽力した一人がゼンギンさん

 詳細は省略するが、ゼンギンさんはその後も来日と強制送還を繰り返し、2011年には、数年前に結婚した妻と2歳の息子を伴って4度目の来日をした。  成田空港で「難民申請をしたい」と申し出ると、妻と子は日本に住んでいた兄が保証人となり引き取ってもらえたが、ゼンギンさんは成田の入管施設に1か月、東日本入国管理センター(茨城県牛久市。以下、牛久入管)に3か月収容された。その後、難民問題に関わる弁護士が保証人となり「仮放免」される。 「仮放免」とは、いずれ母国に還されるという前提は変わらないが、一時的に収容を解く状態を言う。ただし「就労禁止」と「移動制限」が条件。移動制限とは、居住する都道府県以外に移動する場合には入管からの許可が必要になることだ。仮放免は有効期限が1~2か月しかないので、仮放免者は期限の切れる前に入管施設で更新手続きをしなければならない。  2011年以来、ゼンギンさんは埼玉県川口市のアパートで、妻と、今は9歳になった長男と2歳の次男と暮らしてきた。そして、1~2か月おきに東京入管に赴いては仮放免の更新手続きを続けていた。  ところが今年に入ったころ、ゼンギンさんは車の運転中に警察の一斉検問で「重量オーバー」と判断され罰金を支払った。そして4月2日、仮放免の更新手続きのために東京出入国在留管理局(東京都港区。以下、東京入管)に赴いたところ、担当者から「重量オーバーしましたね」と尋ねられ、認めるとその場で即収容となったのだ。  4月5日、筆者は東京入管でゼンギンさんと面会した。入管施設での面会は、刑事ドラマで見るようなアクリル板越しで行われる。収容されたばかりなので顔色は良かった。ゼンギンさんは筆者に疑問をぶつけた。 「本当に重量オーバーだけが理由で私をここに閉じ込めたのでしょうか?」
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「理由は言えない」という東京入管
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