日本のモラ文化は、儒学者貝原益軒の和俗童子訓(1710年)に始まる。その5章、教女子法は、未婚の女性に対し、「夫を主君として仕えよ」「夫に逆らうな」「家事に専念しろ」「貞操を守れ」などと教えた。その数年後、教女子法を通俗簡略化した女大学(おんなだいがく、女性向け人生訓)が出版され、男尊女卑の文化が江戸の世に広まっていった。
明治政府は、女大学の教えを基礎に女子教育の目的を良妻賢母育成とした。教育における良妻賢母主義は、明治20年頃から強く意識され、明治32年の高等女子学校令により確立する。モラ文化の基礎である性別役割分担(男は仕事、女は家事)や夫を家長とする男尊女卑が、教育を通じ、社会的文化的規範となったのである。(
※参考)
妻は「無能力者」として夫の籍に入り従う。これが戸籍制度の本質だ
明治政府は、明治31年に制定した民法(明治民法)にて、イエ制度を定めた。イエ制度の下では、戸主は、イエの統率者としての地位と権能を与えられ、妻は、夫の戸籍に入り無能力者として戸主である夫(因みに、女戸主は極めて例外的)に従うものとされた。
戸籍は、イエの統率者である戸主を筆頭に記載し、妻や子を従えていることを表現した。
モラ文化との決別を宣言するベアテ草案に抵抗した法務官僚たちは、この戸籍を生き延びさせ、家族の「一体性」を示すものとして、戸籍や夫婦同姓強制主義を温存した。
その結果、夫は、未だに戸籍筆頭者であり、妻は夫の姓を名乗っている(前述のとおり、96%が夫の姓を選択する)。日常生活において、夫は家長として扱われ、主人と呼ばれる。
その結果、モラ夫たちは、「俺様は家長」という意識であり、モラ文化を背景に、日常的に妻たちをいじめ、支配する。社会的規範の側に立っているとの意識のため、モラ夫たちが自らの言動を自省することはない。つまり、日本は、未だに、モラ夫を許容するモラ文化から脱却していない。
すなわち、約70年前に、モラ文化との決別を宣言した憲法24条の先進性に、私たちは未だ追いついていないのである。
次回は、日本の若い男性たちがなぜモラ夫になるのかを考えてみたい。
【大貫憲介】
弁護士、東京第二弁護士会所属。92年、さつき法律事務所を設立。離婚、相続、ハーグ条約、入管/ビザ、外国人案件等などを主に扱う。著書に『
入管実務マニュアル』(現代人文社)、『
国際結婚マニュアルQ&A』(海風書房)、『
アフガニスタンから来たモハメッド君のおはなし~モハメッド君を助けよう~』(つげ書房)。ツイッター(
@SatsukiLaw)にてモラ夫の実態を公開中