さて、2018年度の国の借金は883兆円(見込み)です。
財務省は不安ばかりあおってけしからんと思われるかもしれませんが、国の財布を管理している人たちが「日本が財政危機に陥った場合、国債はどうなりますか」との問いに、どのように答えているのか聞いてみましょう。
「仮に財政危機に陥り、国が信認を失えば、金利の大幅な上昇に伴い国債価額が下落し、家計や企業にも影響を与えるとともに、国の円滑な資金調達が困難になり、政府による様々な支払いに支障が生じるおそれがあります」
やや難解ですね。財務省の資料はどれも難しくて、引用しがたいです。くじけないで読んでみましょう。
重要なポイントは2つしかありません。まず、(1)「仮に財政危機に陥り、国が信認を失えば」のプロセスです。これは、国が借金を返さないか、返せない見込みになった時点で、国が信認されなくなるということです。そうすると、(2)「金利の大幅な上昇に伴い国債価額が下落し」ます。国は高い金利を払わないとお金を借りることができなくなります。それは同時に、100円の額面の国債が100円以下でしか売れなくなることを意味します。お金がないのに高い金利を払わないといけないなんて不思議ですね。
では、財務省が指摘するような事態に、我が国は陥るのでしょうか。実のところ、「絶対にそうなる!」と自信をもって予言できるわけではありません。筆者にいえるのは、「財政危機」に陥る可能性は否定できないこと、そして、その可能性が高まっていると注意することだけです。
アベノミクスの問題点の難しさがココにあります。
もしこの問題が、誰がどう見ても絶対に危ないという類いのものであれば、議論の余地なく国の一大事と認識されます。しかし、これは「ツケがたまって」いるとか、リスクが高まっているとかといった言い方しかできない点で厄介です。筆者には「こういう社会的コストを負担しなければならないよ」とか、「こういうリスクが高まっている」とかといった、注意喚起をすることしかできません。
いますぐ絶望的な危機に陥るわけではないとの意味では無視できなくもないのですが、危機に転化したときには一気に転がり落ちるかもしれません。あるいは、私たちが負担しなければならない社会的コストがじわじわとにじみ出てくることも考えられます。そうであっても、税で高いリスクをとってもよいとする、冒険的な国民ばかりなら止めることはできないでしょう。
プライマリー・バランスの黒字化は2025年度に延期
しかし筆者は、みなさんに心配を共有してもらうに値する、重大な問題であると理解しています。
たとえば、日本経済新聞は、2015年2月の経済財政諮問会議での黒田日銀総裁のオフレコ発言を紹介しています。
「(2020年度の基礎的財政収支黒字化に)もっと本腰を入れてやらないといけない。リスキーな状況になってきている」
基礎的財政収支(プライマリー・バランス)とは、「国債費(国債の元本返済や利子の支払いにあてられる費用)」を除いた、国の収入と支出のバランスのことです。このとき黒田日銀総裁が心配したとおり、政府は2018年5月の経済財政諮問会議にて、基礎的財政収支の黒字化を2025年度に延期しました。
日本の基礎的財政収支は、バブル崩壊後の1992年度に赤字に転じてからずっと続いています。赤字が続けば借金は減らずに増えていきます。会社や家計と同じで、国だから特別ということはありません。
第1回で紹介したように、閣議決定には「強い経済は、日本の国力の源泉である。強い経済の再生なくして、財政の再建も、日本の将来もない」とありました。
この文言は「財政の再建」をするためには「強い経済」が必要だ、という意味ですね。背景には、巨額の財政赤字と税収不足があります。税収を増やすためには、国の経済規模を大きくしなければならないとの主張です。一応もっともなことです。ところがこの文言は、いまでは「強い経済」になっていないんだから、「財政の再建」はしなくともよい、あるいは、できっこない、との意味になってしまっています。