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大洲市菅田 逆装橋上から肱川下流 奥の肱川右岸茶色い部分は、完全無堤2019/3/21 撮影 牧田
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大洲市菅田 逆装橋上から肱川上流 2019/3/21 撮影 牧田
菅田地区は、自然堤防に護岸をした程度の大規模無堤地区ですが、国交省直轄でなく、県管理区間のためか現時点で
いまだに治水設備はありません。激しい被害の痕跡を残す左岸側の旧集落では復旧が着手されていますが、一見被災の目立たない右岸側の新集落では住民の転出が目立ち始めたとのことです。
この菅田地区は、
江戸時代の治水設備がいまだに残っており、地史的にはとても興味のあるところですが、河川整備という点ではお粗末極まりないと言うほかありません。
70年間何をしてきたのでしょうか。
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菅田町阿部集会所付近 堤防欠落部 2019/3/21 撮影 牧田
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菅田町阿部集会所付近 2019/3/21 撮影 牧田
肱川右岸の菅田町阿部付近は、唯一、近代的堤防が完成しているように見える場所ですが、写真のように肱川名物の堤防切り欠きが存在し、治水機能が全くありませんでした。この地区も国道197号線より下は全没、国道より上は悪くても床下浸水となったそうです。
このことは、中破したお堂の浸水痕からも確認出来ます。
菅田町阿部集会所付近 中破したお堂 2019/3/21 撮影 牧田
植生に付着する水害ゴミなどと対比したところ、この肱川名物、
切れている堤防でなければ、この地区は水没しなかったものと思われます。切れていてありがたいのは、安いピザやチーズくらいだと思います。まさに「こうかはない」です。
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大川地区 中央右は再開した大川郵便局 2019/3/21 撮影 牧田
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大川地区上流側 2019/3/21 撮影 牧田
崩落した大成橋対岸から大川集落を見ますと、大川郵便局こそ営業再開していますが、肝心の
集落から家がなくなっていました。現状は、「櫛の歯が抜けた」でなく「わずかな櫛の歯」という状態です。崩落した大成橋は、輪切りにされて刺身のように並べられています。折損した橋脚は撤去されていました。
他に治水事業は認められませんでした。
この一帯は、かつての水害を教訓に堤防の出入りのための切り欠き部に簡易の樋門をつけたのですが、肱川大水害では「
こうかはない」のでした。
町並みは根こそぎ破壊されており、今後が深く憂慮されます。
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手つかずの国道197号線崩壊箇所 崩壊が進んでいる2019/3/21 撮影 牧田
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手つかずの国道197号線崩壊箇所 仮設道路側に崩壊が進んでいる 2019/3/21 撮影 牧田
鹿野川地区までの途中、国道197号線大規模崩壊箇所を通りましたが、肱川流域80kmの大水害のために復興資源が足りないためか、仮道路取り付け後は手つかずでした。
道路の崩壊が進んでおり、今後が危ぶまれます。
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鹿野川地区中心街 取り壊しが急速に進む 2019/3/21 撮影 牧田
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鹿野川地区 同じく取り壊しが進む 2019/3/21 撮影 牧田
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大洲市役所肱川支所 二階窓直下に浸水の痕跡がある 2019/3/21 撮影 牧田
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復旧工事中の鹿野川大橋 2019/3/21 撮影 牧田
鹿野川地区(旧肱川町)では、市街地である商業街区が取り壊されており、まるで津波の跡のようでした。この地区は、江戸時代前より数百年続く肱川流域でも有数の行政、商業の要ですが、大水害により壊滅の様相があります。
住民だけの力で復興できるかは未知数でしょう。
この地区は、計画中の山鳥坂ダムによる放水の影響も大きく、鹿野川ダムと山鳥坂ダムの放水手順によっては昨年の水害を上回る甚大な被害を受ける可能性もあります。ダムの制御は極めて難しくなるものと思われます。
下流域の治水対策を完全に行った上でも鹿野川ダムとの連携操作手順を整備しない限り「こうかはいまひとつ」でしょう。
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下石丸地区 何らかの工事に着手した模様2019/3/21 撮影 牧田
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写真上は上肱川発電所取り付け道路 2019/3/21 撮影 牧田
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全損し被害の復旧がなされていない肱川発電所 2019/3/21 撮影 牧田
鹿野川大橋から鹿野川ダムの間には下石丸地区と肱川発電所(10MWe)があります。ともに甚大な洪水被害を受けましたが、被災後と状況は余り変わっていません。下石丸地区は、流失した公園周辺の復旧に着手したようです。
肱川発電所の取り付け道路は、直下が大きく崩壊していますが、他地区に優先して立派な擁壁が作られつつあります。この部分が崩壊するとダム取り付け道路とともに国道197号線も崩落しますので、優先順位が高いのでしょうか。
肱川発電所は全損の被災で、発電所として機能していません*。
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“肱川発電所 23年1月に復旧予定 公営企業管理者 新建屋を建築|愛媛新聞2018/12/11”>
鹿野川ダムの治水ダムとしての機能を抑制しているのは肱川発電所の水利権ですので、下流域にこれだけの激甚な行政災害を起こした以上、肱川発電所は廃止し、水利権をなくした上で、鹿野川ダムを治水専用ダムにするため流水ダム(穴あきダム)にしてしまうのも検討してはどうでしょうか。野村ダム下流全域での河道掘削を河川整備計画に明文化してまで拒否し、住民の生命と財産を犠牲とするほどに生態系保護にこだわるのなら、鹿野川ダムの流水ダム化が最も「こうかはばつぐん」と愚考します。ダム湖跡の自然は時間をかけて収斂します。
従前の欠陥治水事業のサンクコストについてはケチくさいことを言わずに放棄しましょう。施設は肱川治水事業失敗の記録として保存、公開すれば良いです。長い目で見れば、費用負担は軽減されるでしょう。
流水ダムの例 益田川ダム(山形県庁資料より*)
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出典リンク>
野村町に入ると荷刺(にさし)交差点の食堂兼商店兼住居は解体されていました。水没の被害を受けたうえに周辺集落が壊滅し大洲市への街道も山体崩壊で閉塞しましたので、当面の事業継続を諦めたものと思われます。気の毒です。
野村町荷刺交差点 2019/3/21 撮影 牧田
荷刺交差点から野村市街地までの肱川左岸の道路は、水害で完全に破壊されています。復旧事業はおこなわれますが、相当な時間が予想されます。
野村市街地から荷刺までの道路は完全に破壊されている 2019/3/21 撮影 牧田
野村市街地に入ると、家屋商店が取り壊され、櫛の歯が抜けた様相を示しています。野村保育所も解体されています。対岸の三嶋地区は下流の大川地区と同じく多くの家がなくなっていました。
解体中の野村保育所 2019/3/21 撮影 牧田
今回、取材時間の都合で撮影出来ませんでしたが、
野村では河道掘削工事が行われていました。今まで頑として拒否してきたのはどういうことでしょうか。
70年間何をやってきたのかたいへんに不思議です。