この横畠発言から、昭和十三年に起きた佐藤賢了陸軍中佐の「黙れ!」事件を想起する。
昭和十三年一月十六日、近衛文麿首相は「爾後国民政府を対手とせず」という声明を出して、蒋介石政権との和平交渉への道を閉ざした。以来、支那事変は長期戦・泥沼化の様相を見せ、政府は焦りの色を濃くする。
近衛はここに至って、経済・国民一体となって戦争に動員させるべく国家総動員法を国会に提出した。この法案は「戦時ニ際シ国家総動員上必要アルトキハ」物資・生産・金融・物価・労働など経済のあらゆる分野に亘って、政府が命令一本で強制的に統制措置を実施し、加えて、言論の統制、労働争議の禁止すらできるものだった。
この法律は具体性に欠けるばかりか、運用の如何によっては法治主義の原則を無視し、議会を骨抜きにして、政府に独裁権限を与えることにもなりかねない。
実に危険極まりないものだった。
国会では厳しい批判の声があがり、この法案は憲法違反の疑いがあるとして野党は鋭く政府を追及した。
事件はこの審議の最中に起きたのだ。三月三日の衆院総動員法案委員会で政府の説明員である陸軍省軍務課員の佐藤賢了中佐が法案の精神、自身の信念などを長時間にわたって演説した。これに対し、議場から相次いで野次が飛ぶなど、不規則発言があった。佐藤の陸軍士官学校時代の教官であった立憲政友会の宮脇長吉議員が「止めさせろ」などと発言したのに対し、佐藤中佐は「黙れ!」と一喝したのだ。翌日、杉山陸相が陳謝したが、佐藤は何の処分も受けなかった。
日頃、議会制民主主義を批判し、国会を軽視していた軍人が、国家総動員法に批判的な議員を議場で一喝するという事件はその後の我が国の行く末を象徴している。
泥沼化した支那事変は遂に対米戦争を惹き起すに至り、我が国は三百万人を超える犠牲者を出し、敗戦を迎える。
現今の国会を見て、立法府を蔑ろにする強権的な安倍政権に大いなる危惧を覚えるのは、私だけではないだろう。
今日の事態を憂う、心ある与党議員、そして野党議員の奮起を促したい。
<文/南丘喜八郎>
みなみおかきはちろう●月刊日本主幹。1945年生まれ、早稲田大学卒。1969年、アール・エフ・ラジオ日本入社。報道部長・取締役論説室長を兼任し、1995年退社。慶應義塾大学新聞研究所兼任講師、同法学部講師などを務めた後、1997年『月刊日本』を創刊
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