「地下鉄サリン事件から24年の集い」で語られた警察とメディアの問題

地下鉄サリン事件から24年――

 1995年にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した3月20日を前に、「地下鉄サリン事件から24年の集い」が16日、東京・お茶の水にある連合会館で開催され、189人が参加した(主催者発表)。主催はオウム真理教犯罪被害者支援機構、地下鉄サリン事件被害者の会、オウム真理教被害対策弁護団。昨年7月の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫と12人の死刑が執行されたことを受け、オウム真理教犯罪被害者支援機構の中村裕二弁護士による講演「オウムの暴走を許したのは誰か!」や、一連のオウム事件の被害者遺族による対談「被害者の権利獲得から死刑まで」が行われた。

オウムを暴走させた4つの壁

 講演「オウムの暴走を許したのは誰か!」で中村弁護士は、「オウムの暴走を許した警察・検察の壁」として、「宗教団体の壁」「管轄の壁」「化学捜査の壁」「組織の壁」の4つを挙げた。
中村弁護士

中村弁護士

 中村弁護士によると、91年に「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」関係者が当時の國松孝次・警察庁啓示局長と面談。その際、國松局長は「相手が特殊な団体なので慎重に捜査を進めている」と語ったという。また93年に都内で2度起こった「亀戸異臭事件」は、実際には炭疽菌によるテロ未遂だったが、警視庁は捜査しなかった。94年にはサリンプラントがあった上九一色村の「第7サティアン」で薬品が漏れる異臭事件が起こったが、長野県警もこれを捜査しなかった。これらの点を中村弁護士は、「信教の自由」という論理の前に萎縮する「宗教の壁」があったのではないかと語った。 「しかし(信教の自由は憲法で保障されているが)宗教法人法第86条には、『この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合において他の法令の規定が適用されることを妨げるものと解釈してはならない』と書いてある」(中村弁護士)  また1994年の宮崎県資産家拉致事件では、拉致現場は宮崎県、監禁現場であり被害者が保護されたのが東京都内であったことから、宮崎県警と警視庁との間で管轄のなすり合いが起こっていたという。「管轄の壁」だ。  1994年に起こった松本サリン事件では、当初、オウムとは全く無関係の地元住人だった河野義行氏が警察とメディアによって犯人視された。 「私の同僚の弁護士で化学に詳しい弁護士が河野さんの弁護人になりました。そのときに河野さんの自宅から押収された押収品リストを見て『化学式が間違っている。基本的な化学式がわかっていない』(と言っていた)。そういう捜査官が捜査をしていた。こんなものでサリンができるわけがない」  化学についての知見を持たないまま警察が捜査を進めてしまった「科学捜査の壁」だ。同時に、「(河野さんより)もっとほかの方面を操作しないとだめなのではないか」と考える捜査員もいたが、トップの指示には逆らえない「組織の壁」でもある。  1989年11月4日に発生した坂本堤弁護士一家殺害事件発生時、神奈川県警は坂本弁護士の自宅に落ちていたプルシャ(オウム真理教のバッジ)を重要視せず、「借金を抱えて逃げた」「仕事の報酬を持ち逃げした」などとする事実無根の噂をメディアに流したと言われている点などについて、初動から「オウム以外を潰す捜査手法だった」と指摘した。  坂本事件発生の翌年、犯行に関わったもののオウムから逃亡した岡崎一明(宮前一明、昨年死刑執行)が警察などに当てて坂本弁護士一家の遺体を埋めた場所の詳細な地図を郵送。しかし神奈川県警は「いたずら」と判断し、捜査を行わなかった。  様々な壁に阻まれ初動捜査を誤ったり行わなかったりする警察の方針が、組織内で修正されないという「組織の壁」だ。
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メディアのあり方も疑問
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