個室には、背広姿の50代くらいの国家安全局の男性が座っており、名前と国籍、どこから来たのかを聞かれた。男性の両隣には、拘束した海軍と制服を着た公安の男性が一瞬座るも直ぐに離席した。
撮影目的を尋ねられたので、日本時代の学校校舎と建築物を撮影していたと答えると、軍用地は例え、敷地の外からでも撮影は禁止であると諭され、保存したSDカードを差し出すように求められる。
撮影した写真のプリントアウト待ちで約2時間そのままの状態で待機させられるも、対応は終始、丁寧でときより笑いながら談笑していた。おまけにペットボトルの水も出しくれるサービスっぷりだった。
2時間ほどしてプリントアウトされた写真100枚ほどが机に並べられた。国家安全局の男性は、1枚ずつ見て、「これはダメ、これはOK」と仕分けを始める。
結果、半分ほどの写真が軍用地や重要施設が写り込んでいるNG写真と判断されてデータを消去しSDカードを返してもらった。日本時代の古い建築物はほぼNG範疇だった。
写真消去後、今後、中国の法律を遵守する旨の一筆を書かされた。
実は当時、著者は国家安全局の存在は諜報機関くらいの認識で詳しくは知らなかった。その後の彼らのやり取りが興味深い。
取り調べが終わるころに一時退席していた海軍と公安担当者が再び姿を現し、海軍の軍人が国家安全局の担当者へ何か語気を強めて詰め寄っていた。どうやら、どうしてこいつを解放するんだと言っていたようで逮捕しろと不満げだった。義務的に来たのか公安の男性は、上の空であまり関心なさそうで、怒れる軍人を国家安全局の人間がなだめるような光景が見られた。
1、2分後、軍人と国家安全局の男性が握手をして軍人と公安は去っていった。
反スパイ防止法施行前だったがゆえの紳士的な対応で、拘束時間3時間ほどで罰金もなく解放されたので今から考えると非常に幸運だった。これが現在だったら、とんでもない人権無視な取り調べを受けてスパイ罪として10年以上の禁固刑を受けたかもしれない。
国家安全局は、政府直属(正確には国務院直下)なので予算も無尽蔵にあるとされ、このときの光景からも軍を超える大きな権力を持っていることも分かる。
中国は日本とは制度もルールもまったく違うことを十分に認識してから行動してほしい。たとえば、中国の消防署は軍管理地扱いなので、「中国の消防署」などと気軽に撮影するとスパイ容疑をかけられる恐れもあるからだ。
大連市内の日本時代に建てられた現役の消防署。右下に青い軍事管理区の看板がある
繰り返し言うが、筆者の拘束は9年前のことで非常にラッキーだったとも言えるケースだ、現在でも撮影禁止などのルールは変わらない。その一方でスパイ容疑への取り締まりは強化されている。本記事のような「紳士的な対応」は望めない可能性のほうが高いのだ。
<取材・文・撮影/我妻伊都(Twitter ID:@
Ito_Wagatsuma)>