本来、
政党の除名処分とは、対象となる政治家の政治生命を奪う、政党の意思と行動の現れです。だから、政党政治家にとっては、除名する方もされる方も、自らの政治生命をかける、一世一代の重大事です。政党に所属しない一般の人々からすれば、離党も除名も違いを感じないかも知れませんが、政治家にとってはそれくらい重いことなのです。
除名処分の重さを物語る典型例が、
吉田茂による石橋湛山と河野一郎の自由党除名です。当時、与党自由党の総裁で首相だった吉田茂は、
外交・経済ともに対米重視路線でした。それに対し、湛山は鳩山一郎派の政策責任者として、
外交・経済の対米自主(多国間協調)路線を立案し、鳩山派への国民の期待を集めていました。
吉田は、52年8月に衆院を抜き打ち解散し、10月1日の投票日直前、9月29日に湛山と河野を自由党から除名しました。この解散と除名は、対米自主路線を掲げる鳩山派の議席増を防ぐためでした。鳩山派の選挙準備(候補者擁立や資金集め等)が整わないうちに解散し、さらに
鳩山の両腕、政策責任者の湛山(静岡2区)と渉外責任者の河野(神奈川3区)を自由党から除名して、落選させようとしたのです。
湛山と河野は、当選後に吉田政権打倒の運動を進め、同年12月に除名を取り消させました。その後も、反吉田の動きは急進化し、翌年3月2日に衆院で吉田への懲罰動議が可決されるに至りました。これは、吉田が衆院予算委員会で「バカヤロー」という暴言を吐いたことを受けての動議です。それに対し、吉田は解散総選挙で応じ、ついに鳩山、湛山、河野らの鳩山派は自由党を脱党し、分党派自由党を結成しました。
このように、
吉田による湛山・河野の除名は、激しい政策論争と権力闘争を背景にし、湛山と河野を政治の表舞台から引きずり降ろすための行為でした。それは、戦後の日本をどのように復興させていくのか、その方針をめぐる争いであり、お互い自らの勢力を拡張することこそ、日本のため、国民のためと考え、権力闘争をしていました。権力闘争は一般の人々からすれば唾棄すべきものかもしれませんが、
政策論争を伴う権力闘争は、政治家の「職業的良心」に基づくもので、社会をより良くするために歓迎すべきものなのです。
結果的に、湛山と河野は、除名処分の屈辱と不利をはねつけ、吉田政権を終わらせる原動力となりました。
吉田も、湛山と河野も、日本のために政治生命をかけ合った中での除名処分だったのです。ちなみに、吉田派と鳩山派の政策論争・権力闘争を知りたい方には、お勧めの本があります。政治家という存在を考える上で、有益な材料になるはずです。
大和田秀樹『疾風の勇人』全7巻(講談社コミック)
佐高信『孤高を恐れず―石橋湛山の志』(講談社文庫)
自民党は、除名処分をせずに離党届を受理したことで、
田畑議員の政治生命を奪わない選択をしました。それは、
田畑議員の性犯罪容疑を自民党として是認し、自民党の政治家の政治生命を田畑議員とともにさせるという意味なのです。
田畑議員と自民党議員の政治生命は、有権者に委ねられました。今年は、審判の機会が4月の統一地方選、7月の参院選と控えています。
有権者の判断が問われているのです。
<文/田中信一郎>
たなかしんいちろう●千葉商科大学特別客員准教授、博士(政治学)。著書に『
国会質問制度の研究~質問主意書1890-2007』(日本出版ネットワーク)。また、『
緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説 「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』(扶桑社)では法政大の上西充子教授とともに解説を寄せている。国会・行政に関する解説をわかりやすい言葉でツイートしている。Twitter ID/
@TanakaShinsyu