「日本人特有の表情」は実在するのか!? 学術研究について回る誤解を解く

「日本人特有の表情」とは存在するのか?

 結論から言えば、この佐藤論文には方法論上の問題点があるため、エクマンによる表情の万国共通説とは異なる日本人の表情が実証されたと私には考えられません。  しかしながら、研究の見方を変えることで佐藤氏らが述べている以外の研究の意義を見出すことが出来ると私は考えています。  方法論上の問題点について次のことが指摘できます。直感的に理解できることですが、冒頭のシナリオでどれほど感情が喚起されるでしょうか。余程、感情移入が得意な方でない限り、ほとんど感情は揺れ動かないのではないかと考えられます。  また実験参加者らがこれらの表情を表現するとき、目の前にカメラが設置されている状況であることが論文に書かれています。つまり、実験室の一室で、カメラが目の前にあり、シナリオを頼りに、感情的な顔をする、というプロセスで実験が行われました。  こうした条件下において、感情が自然状態と同じように適切な強度を保って表情に現れるでしょうか。  さらにこの実験の参加者らは、23歳前後の男女です。こうした実験条件で豊かな表情をするでしょうか。また、そのモチベーションはどこにあるのでしょうか。  こうした問題点を抱える実験から導き出された結論ーー万国共通の感情は、万国共通の表情になるとは限らず、日本人特有の表情が生じるーには疑問符を付けざるをえません。  むしろこの実験方法で得られた表情は、日本人の微細表情(subtle expressionsと英語で表記します。研究によっては微表情=micro expressionsの同義語として用いられることがあります。)だと考えられます。  微細表情とは、弱い感情が想起された場合、あるいは起こり始めた感情が抑制された場合に起こる表情のことをいいます。   このときの表情は部分的に生じます。典型的な表情の一部分のみが顔に現れるのです。典型的な表情とは、マクロ表情と呼ばれ、1人でいるとき、心を許せる人たちといるとき、咄嗟の状況などで、感情が抑制されず自然に生じるときの表情のことをいいます。  例えば、恐怖表情の典型は、眉が引き上げられる+眉が中央に引き寄せられる+目が見開かれる+下まぶたに力が入れられる+口角が水平に引かれる+唇が離される、です。こうした典型的な恐怖表情は、極寒の場に薄着で放り出されたとき、物理的な暴力を加えられそうなとき、高いところから落ちそうになったとき、事故の瞬間などで観られます。  恐怖感情が弱いと、この典型表情の一部、例えば、眉が引き上げられる+目が見開かれる+下まぶたに力が入れられる、が生じます。これが恐怖の微細表情です。  本研究の条件下で生じた表情筋の動きの表(原論文の中に添付)をみると、典型的な表情筋の一部が弱い表情筋の動きとして生じていることがわかります。このことから、本研究は日本人のマクロ表情ではなく微細表情を実証した研究であると考えた方が意義を感じられます。
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原論文を読まずに、誤解だけが一人歩きする危険性
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