「女はしゃしゃり出てくるな」ブルーカラーの女性観の根底にあるものとは?

「#MeToo」における、ホワイトカラーとブルーカラー女性の隔たり

 実は、こうした昨今の「女性の社会進出に対する世間の風潮」と「自身が持つ女性観」にギャップを感じるのは、男性ブルーカラーだけではない。男性社会に身を置く女性ブルーカラーにも生じる場合があるのだ。  その原因は3つある。  1つは、女性ホワイトカラーとのあまりにも違う環境にある。  現在の#MeToo運動や女性の社会的地位の向上活動を牽引している多くが、発信力のある「女性ホワイトカラー」で、それらの活動が、絶対数が少なく比較的発信力の弱い女性ブルーカラーらの基準になっていないのだ。  化粧直しよりも、「顔や手に付いた作業油」や「切り傷の血」を流し落とすための場所と化すトイレに、成人雑誌が転がる休憩室。前回の通り、セクハラ発言は「あいさつ代わり」に飛び交い、パワハラも露骨である。 「いやなら辞めろ」と言われても、社会的弱者である場合が多い彼女らには、「その先」の保証がなく、女性が比較的多い現場でも、工場は人間関係が希薄になる傾向があるため、セクハラを受けても誰かに相談しづらいという現実もある。  こうした「女性ホワイトカラー」との環境の違いが、昨今のムーブメントにも「私たちには関係ない」という感覚にさせてしまうのだ。  2つ目は、男性ブルーカラーに負けず劣らず高い「女性ブルーカラーのプライド」だ。  男性ブルーカラーと肩を並べて仕事していると、女性ブルーカラーにも、男性と同じように「第一線でやっている」という高いプライドが芽生えるようになる。  特に様々な苦境や女性差別を受けてきた女性となると、今まで辛抱してきたことに誇りのようなものを感じるようになり、ムーブメントを「私には必要ない」と素直に受け入れなくなるのだ。  恥ずかしながら筆者はこれに当たり、今まで女性目線でブルーカラーを書いてこなかったもう1つの理由もこれだ。  そして3つ目は、一部の女性ブルーカラーによるセクハラの「ポジティブな受け入れ」だ。  男性社会で生きる女性ブルーカラーの中には、セクハラを「大変不快だ」と思う人だけでなく、「多少は致し方ない」と甘んじている人、さらには男性の性的な言動に対して「ちやほやされている」、「女性として見られている」と喜びを感じてしまう人が少なからず存在する。  男性からの言動をどう感じ、どう対処するかは人それぞれかもしれないが、こうした女性ブルーカラーの女性観に対する「極端なバラつき」や「セクハラのポジティブな受け入れ」は、女性ブルーカラーの“底辺の声”が太く束なるのを妨げ、ブルーカラー全体での環境改善が進まない要因になっているのも事実なのだ。  現場や職種が違ってくれば、それぞれの女性観も大きく違ってきて当然だろう。それでも、こうしてみると、やはりブルーカラーが持つ女性観は、男性だけでなく女性自身にも改善の余地があると言える。  肉体労働の過酷な現場。男性との身体的違いで「性別」を意識してしまうことがあっても、仕事の趣旨とは関係ない「性」を意識する環境があることはあってはいけない。  前回のピンク色に染まった「トラガール」然り、女性ブルーカラーの環境が「安っぽく」なることだけは避けるべきだと筆者は思うのだ。 【橋本愛喜】 フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。日本語教育やセミナーを通じて得た60か国4,000人以上の外国人駐在員や留学生と交流をもつ。滞在していたニューヨークや韓国との文化的差異を元に執筆中。
フリーライター。元工場経営者、日本語教師。大型自動車一種免許取得後、トラックで200社以上のモノづくりの現場を訪問。ブルーカラーの労働環境問題、ジェンダー、災害対策、文化差異などを中心に執筆。各メディア出演や全国での講演活動も行う。著書に『トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書) Twitterは@AikiHashimoto
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