さて、そうすると、そのような雑なやり方の研究ではなく、もっとちゃんとやったものはないのか、その結果はどうなっているのか、という疑問がわいてきます。これは、上の (b) 「論文を根拠としない場合も結論に影響しない」 は本当か、ということでもあります。宮崎早野論文が削除された放射線審議会資料では、もうひとつ、
③ 福島第一原子力発電所事故後の飯舘村における復興期間中の個人外部被ばく線量の測定及び評価(内藤ら)
という項目があります(①、②は論文ではなく、また空間線量率と被曝線量の比例係数等も明確には示されていないので、ここでは議論しません)。ここで参照されているのは
「Measuring and assessing individual external doses during the rehabilitation phase in Iitate village after the Fukushima Daiichi nuclear power plant accident, Wataru Naito et al, 2017,Journal of Radiological Protection, Volume 37, Number 3」
という論文で、宮崎早野論文と同じ雑誌に半年ほど遅れて掲載されています。
こちらは、飯舘村の住民38名について、2015年10月から2016年5月までの間、個人線量計 D-Shuttle とGPS データ等から「どこでどれだけ」被曝したかという情報をとり、それと「その場所」での空間線量率の関係を見る、というものです。人数が少ないですが、そのかわり「線量計がどこにあったか」がわかっているので、屋内にいた時、屋外にいた時、そもそも飯舘村にいなかった時、とわけて、それぞれについてちゃんと調べる、ということができています。飯舘村はこの時点ではまだ全面的に避難指示区域であり、村内での一時帰宅で短期滞在した時のものです。
この論文では、住民が屋内にいた時で空間線量と実際の被曝線量の比例係数が0.15、屋外でも 0.18 だった、という結論であり、これは宮崎早野第一論文の全体で 0.15というものとあまり変わりません。なので、「論文を根拠としない場合も結論に影響しない」というのが放射線審議会の言い分です。
さて、そうすると、問題があることが明らかで、係数が小さくでているはずの宮崎早野第一論文と、一見方法論は大丈夫そうな内藤論文で何故だいたい同じ結果になるのでしょうか? 宮崎早野論文の結果は実は信頼できるのでしょうか?
内藤論文では、空間線量は航空機サーベイによるものを使っています。航空機サーベイの結果は
論文図1に示されています。例えば14番の比曽では、点で示された住民の住居のある場所は空間線量が 3.8μSv/h を超えるとなっています。
「Measuring and assessing individual external doses during the rehabilitation phase in Iitate village after the Fukushima Daiichi nuclear power plant accident」より
しかし、実際には、この調査の直前までに、飯舘村では家屋付近の除染が行われています。
飯舘村役場による測定(ふくしま再生の会より)のグラフを見ると、比曽の場合、それまで宅地で 3μSv/h程度あった空間線量が2015年10月頃以降は1μSv/h程度まで減っていることがわかります。これは、論文で対象になっている場所と同じではないかもしれませんが、
除染されて空間線量が下がっていることは同様と思われます。
飯舘村比曽地区の行政区別空間線量推移グラフ(飯舘村役場による測定) ふくしま再生の会WEB サイトより
住民が飯舘村に一時帰村したのはほとんどの住民で2015年11月後半となっています。そもそも宅地除染の前に長期滞在するわけはないので、滞在は除染後と考えていいでしょう。一方、航空機サーベイは論文によると9月12日から11月4日の間に行われた、とあり、除染前の数値である可能性があります。また、除染後であったとしても、航空機サーベイは広い面積(半径300m程度)の平均的な線量になるので、宅地をピンポイントに除染した結果は航空機サーベイには現れません。
つまり、ガラスバッジがどこにあったかも気にしないで解析している宮崎早野第一論文に比べて、まだ放射線審議会資料に残っている内藤論文はちゃんと GPS データ等でどこに測定器があったかを調べているのはいいのですが、
航空機サーベイの空間線量は除染後の宅地やその周辺の値とは全く違う、という明らかな問題があるものだ、ということです。
集落のサイズが小さい飯舘村では、
航空機サーベイと宅地での実際の線量のずれは非常に大きくなっており、そのことが「0.15」という小さな比例係数がでたことの主要な要因と考えられます。言い換えると、除染したあとの空間線量と実際の被曝量の比例係数は「0.15」の数倍ある、ということです。
一見どこにも計算間違いや捏造はないのですが、内藤論文の結果は、
少なくとも除染後の「空間線量」と被曝量の関係の推定に使うと過小評価になる、使ってはいけないものだ、ということがわかります。また、より重要なこととして、そもそも航空機サーベイの数値と被曝線量を関係付けよう、というアプローチ自体が問題である、ということを内藤論文の結果は示しています。
この問題は、宮崎早野第一論文の結果にも大きく影響している可能性があります。
つまり、(b) の「論文を根拠としない場合も結論に影響しない」は、内藤論文が残っている、という意味ではそうなのですが、内藤論文の結果も空間線量から被曝量の推定をする時に使うと過小評価になるものだ、ということです。
ここで書いた程度のことを、専門家が揃っている放射線審議会の委員が理解していないはずはありません。それにもかかわらず、委員会の結論は
「論文を根拠としない場合も結論に影響しない」ということになるのが現状である、ということです。
国の政策立案の基幹となるべき基礎的な統計情報さえ捏造されるのですから、科学的な事実が国の委員会で捻じ曲げられるくらいで驚いてはいけないのかもしれません。しかし、それは
国の政策は非科学的な、事実に基づかないものになっている、ということです。
<文/牧野淳一郎 Twitter ID:
@jun_makino>
まきの じゅんいちろう●神戸大学教授、理化学研究所計算科学研究センターフラッグシップ2020プロジェクト副プロジェクトリーダー・学術博士。国立天文台教授、東京工業大学教授等を経て現職。専門は、計算天体物理学、計算惑星学、数値計算法、数値計算向け計算機アーキテクチャ等。著書は「
シミュレーション天文学」(共編、日本評論社)等専門書の他「
原発事故と科学的方法」「
被曝評価と科学的方法」(岩波書店)
Twitter ID:
@jun_makino
まきの じゅんいちろう●神戸大学教授、理化学研究所計算科学研究センターフラッグシップ2020プロジェクト副プロジェクトリーダー・学術博士。国立天文台教授、東京工業大学教授等を経て現職。専門は、計算天体物理学、計算惑星学、数値計算法、数値計算向け計算機アーキテクチャ等。著書は「
シミュレーション天文学」(共編、日本評論社)等専門書の他「
原発事故と科学的方法」「
被曝評価と科学的方法」(岩波書店)