―― 国家統合が崩れる中、それを必死に食い止めようとしてきたのが今上天皇です。今上天皇は皇太子時代から何度も沖縄に足を運び、沖縄に寄り添う姿勢を見せてきました。
片山:いかなるときも国民と共感共苦するのが今上天皇のあり方です。とはいえ、国民と共感共苦するというあり方は、今上天皇に限ったものではありません。
たとえば、日本浪曼派の保田與重郎は『万葉集』を読み解き、そこに天皇が民と対等に触れ合う姿を見出しています。『万葉集』には4500を超える歌が収められていますが、一番初めに置かれているのは雄略天皇の長歌です。これは雄略天皇が朝倉宮のそばで、籠を提げて菜を摘む乙女に呼びかけるという内容です。保田はこうした天皇と民の交流こそ、天皇のあるべき姿だと考えました。
もっとも、このような関係は小さな世界でなければ成り立ちえません。それは理想的な世界ではありますが、もはや取り戻せない過去のことです。自らが追い求めるものが存在しないとなれば、ニヒリズムに陥るほかありません。しかし保田は、たとえ不可能だとしても、その夢になお熱烈な思いを寄せていました。彼は「日本浪曼派」という名前の通り、ロマンティストだったのです。
そういう意味では、今上天皇もまたロマンティストだと言えます。今上天皇は国民との交流を大切にしていますが、いくら国民と触れ合おうとしても、全ての国民と交流することはできません。しかし、今上天皇からはニヒリスティックな雰囲気は感じられません。一回でも多く旅をし、一人でも多くの国民と共感共苦しようと努力されています。自らの体がその任に耐えられなくなったと思っても、諦観することなく、大胆にも生前退位に踏み切りました。今上天皇は保田以上にロマン主義者なのかもしれません。
―― 今上天皇の行動は場当たり的なものではなく、しっかりとしたヴィジョンに基づいているように見えます。平成はヴィジョンが失われた時代でしたが、唯一、今上天皇だけは明確なヴィジョンを持ち続けていたのではないでしょうか。
片山:それは世代の問題と関係していると思います。今上天皇の世代は少年時代に先の大戦を経験しました。そのため、この世代の人々は、戦後民主主義とは何か、なぜ戦後民主主義を守っていかなければならないのかということを持続的に思考してきました。論壇で言えば、リベラルな鶴見俊輔でも保守の江藤淳でも、その意味では同じです。しかし、この世代の多くはすでに亡くなっており、いまや影響力を及ぼせる立場にいるのは今上天皇だけと言えるでしょう。だから今上天皇が目立つようになっているのだと思います。
また、そもそも天皇が長いスパンで物事を考える存在だという側面もあると思います。安倍政権は長期政権と言われていますが、長くてもせいぜい10年程度です。これに対して、天皇家は神話も換算すれば2700年近く続いてきたことになっている。これほど長いスパンを自分のこととして受け止め、それに基づいて物事を考えることができるのは天皇だけです。
特に最近の日本は刹那主義的な風潮が強くなっており、「国家百年の計」について考える人は皆無です。だからこそ、余計に今上天皇が突出するようになっているのだと思います。
―― 日本がポスト平成時代を生き抜くためには、今上天皇のように、長期的なヴィジョンを取り戻す必要があります。
片山:安倍内閣のような方策を続けていれば、次の時代も格差拡大は止まらず、沖縄や北海道の軋轢も深まっていくばかりです。それに対して、日本政府は対外的な脅威を大きく見せながら、「欲しがりません勝つまでは」というように、国民に我慢を強いてくるはずです。
これに対抗するには、イデオロギーの復権が必要です。たとえば、アメリカのバーニー・サンダースのように、社会民主主義的なヴィジョンを明確に打ち出すことが重要になります。
こうした価値観が社会全体で共有されるためには、1929年の世界恐慌のようなドラスティックなことが起きなければ難しいかもしれません。
しかし、現在のやり方を続ける限り、国民多数を待ち受けるのはディストピアの世界でしょう。それは決して荒唐無稽な話ではなく、日本の現実は現在進行形で今日もその道を進んでいるとよくよく思い詰めて、考え直さないと、いよいよ手遅れになると思います。
(18年12月22日インタビュー、聞き手・構成 中村友哉)
片山杜秀(かたやま・もりひで)●慶応義塾大学教授。昭和38(1963)年、宮城県生まれ。
『
未完のファシズム』(新潮社、司馬遼太郎賞)、『
近代天皇論』(集英社、共著)、『
平成史』(小学館、共著)など著書多数
げっかんにっぽん●Twitter ID=
@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。