翌月、筆者のもとに知り合いの編集者からある情報がもたらされた。文化庁を外局として所管する文部科学省の下村博文大臣(当時)が文化庁に統一教会の名称変更を強引に認めさせたと永田町で噂になっているというのだ。そこで下村と統一教会との関係を調べると、同教団系の日刊紙『世界日報』に直近の2年間で3回もインタビューや座談会記事が掲載されており、同紙の月刊誌『Viewpoint』にも転載されていた。文科大臣執務室で世界日報記者のインタビュー取材を受け、世界日報の木下義昭社長(当時)らと鼎談する下村、世界日報に国会議員が登場することはさほど珍しいことではないが、2年の間に3回も登場したのは下村だけだ。
下村の記事が掲載されたViewpoint表紙
この名称変更の直後、下村は文科大臣を退任した。永田町界隈で噂になった通り、下村が文化庁に対し統一教会の名称変更申請が認証されるよう圧力をかけ教団に便宜供与を行ったのだとすると、その責任は限りなく重い。下村の事務所に質問書を送ったが、回答は得られていない。
下村からの圧力に屈した格好となった文化庁サイドも、唯々諾々と上位省庁の長に従ったわけではなかった。教団側が発表した旧教団名の一年間併記という「縛り」は、認証の条件として文化庁が課したものだと判明したのだ。
教団名変更に至った策動について、教団内では下村とつながった木下義昭・世界日報社長ルートと、萩生田光一とつながった太田洪量・国際勝共連合会長のルートとのせめぎ合いがあったという。結果としては下村―木村ルートが奏功したことになるが、いずれにしろ、統一教会が政治家工作によって名称変更に漕ぎ着けたことに違いはない。
2017年11月に東京都選挙管理委員会が公表した2016年分の政治資金収支報告書には、『木下―下村ルート』の痕跡が残っていた。下村が代表を務める自民党東京都第11選挙区支部が16年3月に世界日報社から現金6万円を受け取っていたと記載されていたのだ。
なお、下村の後援団体・博友会には、統一教会関係者が幹部を務めており、この人物を毛嫌いしていた下村に近しい人物によって、加計学園が政治資金パーティ券200万円を博友会から購入した政治資金規正法違反、いわゆるパーティ券問題が外部にリークされたという。